■■■■■ 2012.4.5 ■■■■■

 「肉食民族」揶揄表現は止めて欲しい

西洋は狩猟民族で、日本は農耕民族といったステレオタイプの主張を、まともそうに見える人達が、未だに堂々と主張している。コレ、「鬼畜米英」と同類では。
ご本人は嬉しいらしいが、こういったドンキホーテ的体質こそ、日本人の特徴と言われるだけである。これには、反論のしようがない。実にこまったもの。

そこで、いかにドンキホーテ的か書いてみることにした。

まず、前提としておさえておくべき点。
それは、日本人の最大の特徴は「雑種」という点。人種も、言語も、生活様式も。
だからこそ、単一の「日本民族」国家いう主張が生きてくるのだ。日本で土着的に生活したければ、一枚岩の「民族」として同化せよと、無言の圧力がかかる社会なのである。良いか悪いかという話ではなく、現実に、これこそが、日本人のアイデンティティそのもの。
小生は、この体質は歴史以前からの伝統と見る。どう見ても、様々なルートからの渡来人が日本のなかで重要な役割を果たしてきた。新しい文化を受け入れることに吝かではなかったのは明らか。しかし、在来文化を一挙に否定しかねない動きは認めたことはなさそう。そして、常に文化の融合を図ってきた。
おそらく、対立を嫌った結果ではない。融合して一枚岩になろうという動きを拒否する人達もいたが、そんな動きを容認することはなかったからだ。
要するに、日本の基本方針とは雑種文化。しかし、多文化という訳ではない。必ず融合を図り、磨き抜き、人々が純粋文化的な境地に浸れるような独自文化に仕上げてしまうのである。
日本語がどこから来たかわからないのも当然。様々なものの融合体なのだから。

これを踏まえれば、日本は「農耕文化」が基底と言った見方は間違いであることもわかろう。様々な文化の融合体なのだから。
なんとかして西洋との違いを説明したいがための方便だと思われる。そこら辺りをご説明しよう。

一般的には農耕文化国家とは、膨大な数の農奴と、それを力で管理する能力を持つ武人層で形成されているもの。コレ、シュメールの時代から通用する話。王権のあり方や宗教という点に注目すれば、支配する仕組みは違うとはいえ、経済基盤はココ。これには、西洋も東洋も無い。
日本にも奴隷はいたようだが、このような状態だったとは言い難い。もちろん、日本も、こうした典型的な農耕文化国家を真似て、大発展を狙ったことがあるが、ことごとく上手くいかなかった。集約農業なので、土地不足に直面し、大陸進出に踏み切る以外に手は無く、結局は大失敗。農耕文化追求は、平和な生活を導く訳ではなく、その真逆。
農耕国家の典型とは、乾燥地帯の中原の中華帝国である。都を強固な城壁で囲い、経済圏は万里の長城と武装勢力で守るというもの。およそ平和と程遠い仕組み。
日本の場合は、ヤマトはおそらく山都であり、京都とは山城。言葉で、中華帝国を見習ってはいるものの、リアルな城壁は不要なのである。中央主権的な農耕では無いから、こんなことが可能なのである。
これでは、わかりにくいか。
日本では、地域毎に、あるいは耕作地毎に、そこだけで通用する農耕スキルが無いと生産性が極端に落ちるのである。言うまでもないが、そんなスキルは現場の農作業者以外ある訳もなく、中華帝国のような単純労働者たる農奴を使った大規模農業経営は無理なのだ。従って、土着農民に逃げられたりすると、農業経済は崩壊しかねないのである。(農業技術の進歩で、土着的スキルの有無で生産性が大きく左右されなくなる訳だが、現代でもそのスキルで経営状況が変わると言われている。)

当サイトで何回か書いた気がするが、西洋を肉食人種の地域と考えるのは間違い。日本人を非肉食人種と見なすのも無理筋。
余程の過剰生産状況にならない限りは、ミルクの生産手段を減らすような食生活をする訳がないからだ。農耕作業用の家畜についても、日本同様に食材対象から外すのが当たり前。だいたい、狩猟民族とは、獲物を追って移動することになるから定住できる筈がないのである。一般に、農業や牧畜中心の経済を打ち立てた人達は、狩猟民族の生産地である森を燃やし続けてきた訳で、反狩猟民族と呼ぶべきだろう。
典型的な肉食人種をあげるなら、中国南部から東南アジアにかけて住んでいる人達である。食べるための豚を家族のように育て上げる文化が古くから定着している。日本では、古代からペットはいたようだが、似たような習慣は無さそうだ。その点では、日本人は肉食人種ではない。
しかし、日本人は、定住にもかかわらず、野生動物が棲む森や湖沼・河川を大切にしてきた、どう見ても、狩猟民族文化を引きずっている。実際、古代から、鹿・猪や、雉・鶴・鴨・兎は食の対象となっている。現代では食べることは稀だが、それは捕りすぎたり、環境を変える動きが始まり、狩猟の対象にできなくなったからにすぎまい。早くに絶滅したが、日本にも、狼がいたのだから、野生動物は沢山棲んでおり、日本人はそれをよく食べていたのである。 ジビエを愛好したり、スポーツハンティングに興ずる上流階級だけの肉食社会と違い、日本では一般層が肉食を好んでいたのであり、上流階級ほど宗教上の禁忌から肉食を控えていたというのが実情。もっとも、「雁モドキ」があるのだから、本気で肉食を抑えていたとは思えないが。ともあれ、常識的には、西洋より、日本の方が肉食人種に近かろう。
このように考えれば、日本人は雑食人種と呼ぶのが適切。 この呼び名には、貧困イメージがつきまとうが、それは乾燥地帯の、冬小麦と草原牧畜の並存生活者の見方。単純な食材での生活が基本だから、豊かになった結果、食材の中心が肉になったと考えるべきである。冬小麦と乳製品に、肉が加わっただけ。これがご馳走。多種多様なメニューといっても、基本食材のバラエティはたいしたことはない。
これに対して、日本は、昔から食材の量も種類も豊富な地域。
魚・貝・海藻といった多種多様な水産物ひとつとっても、世界中を見渡して、これほど恵まれた地域は滅多になかろう。しかも、集落の傍らの森には食用となる野生動物が棲んでおり、木の実・果実・野草は豊富。澱粉系作物にしても、イネ科系だけでなく、豆や芋も同時に栽培できるのだ。野菜に至ってはなんでもござれ。自然の猛威にはしばしば晒されるとはいえ、人口さえ適切なら、実に恵まれた稀有な地域といえよう。
ただ、こうした状況を甘受するためには、その地域の資源や環境についての豊富な知識と、「科学的」知見が不可欠。土地を奪えば、楽に暮らせるという訳ではないのである。土着性が矢鱈に強くなるのは、当たり前なのだ。

こうした特徴を理解すれば、日本人の心象風景も自然にわかる筈。
日本の故郷イメージとは、「里山」なのである。それは深い山でもなければ、自然林でもない。小川が流れ、木々の隙間から陽の光が差し込む所には松茸が生えたり、愛でるための花木があったり、はたまた自生芋が採れるという地。生産地という感じではないが、周到に設計された、集落の生活を豊かにする地域の拠点なのである。それが、日本人の愛する「自然」。いかにも雑食、多文化融合の象徴とはいえまいか。
言うまでもないが、そんな生活を支える基盤は、狭い耕地にもかかわらず、単位収穫量が極めて高い集約的農業。その象徴が水田のイネ。
古事記を見てわかるように、日本はイネの国ではない。しかし、日本はイネの国であるという考え方は正鵠。イネ栽培の場合、狭い地域で、集団的に同質の努力をしないと、集約的農業の成果が今一歩になってしまうからだ。集落の人々の魂の結晶がイネに宿るという思想が広がるのは自然なこと。「日本民族」の一枚岩化と表裏一体。非稲作地域多しとか、米が食べられなかったか人だらけという話とは次元が違うのである。雑種文化の国では、イネ信仰を一部の人の内々で完結させる訳にはいかないのである。


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