2012年の東京のお花見はお天気に恵まれた。
だいぶ遅れて、今、ようやく満開の木もあるが、そろそろ葉桜だらけ。
桜のトンネルを抜けるのも嬉しいものだが、その存在を感じながら、周辺でひと時のんびり過ごすものなかなかのもの。・・・などと思ったのは、広重の名所江戸百景「上野山した」を思い出したから。紫蘇飯屋と寛永寺への道がモチーフ。緑の木々だけで、桜は存在していない。しかし、木々の間に赤の雲が描かれている。見る人の心象風景を呼び起こす仕掛けか。
お花見を直接的に描いたのは「玉川堤の花」。現在の新宿御苑正門だそうだが、今も、ココは長蛇の列である。小生は、今年は、遠慮させて頂いた。
結局、選んだのは、青山墓地、外濠,
靖国、千鳥ヶ淵。別に霊気を意識した訳でもないのだが。
ドナルド・キーンさんのお話の影響もあったかも知れぬ。・・・桜の季節の中尊寺金色堂で深く心を動かされたそうだ。暗い森の中に輝く金色堂と、東北の長い冬の後に森に咲く桜に感動したという。
コレ、第二次世界大戦が終わってまもなくの頃のこと。日本文学研究者だからということではなく、もともと日本的感性を持った方だったようである。
よく言われていることだが、米国では、薄い色の花弁の桜は余り好かれない。鑑賞対象である花は、それなりの鮮やかさがなければ感動を呼ばないのである。
日本は逆。ほのかなピンク色を感じさせる白色の花弁だからこそ嬉しいのだ。米国人の感性とは違うのである。
その理由はちょっと考えるとすぐわかる。
日本のお花見とは、満開の桜の花を鑑賞しているように見えるが、実は違うのである。ボーと眺めていると、桜の精気を浴びた感じになるということ。桜を眺めると言うより、桜に触れた気になれるのである。そして、桜に触発されて生まれた、自らの心象風景を楽しむのである。
いま桜咲きぬと見えて薄ぐもり 春に霞める世のけしきかな・・・式子内親王(新古今和歌集)
世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし・・・在原業平(古今和歌集)
清水へ祇園をよぎる桜月夜 今宵逢ふ人みなうつくしき・・・与謝野晶子(みだれ髪)
ドナルド・キーンさんも、広重も、鋭い感性の持ち主であることがよくわかる。
(記事)「東北を勇気づけたい ドナルド・キーン氏、仙台で講演」2011年10月19日21時13分 朝日新聞