先日、観光地で桜餅を賞味した。古そうな和菓子屋さん製。まだ花見時期だったこともあるが、たまたま最後の1個だったので格別。
最近は季節モノも、一年中手に入る状態だから情緒もなにもないが、このお店は季節商品に絞っているので嬉しい。品揃えの余裕が無いのかも知れぬが。
ともあれ、東京型ビジネスではない。なにせ、道明寺を桜餅と呼んでいるのだから。
肝心のお菓子だが、薄くて柔らかい葉の塩味が美味。おっと、甘さを抑えた餡を引き立たせていると言うべきか。ともかく、葉がなかなかのもの。自家製塩漬か、特注品では。
ところで、江戸の桜餅の元は、長命寺とされている。サイズが大きいためか皮は厚い。当然ながら、両側から挟む葉も大き目で丈夫。およそ上品とは言い難いし、葉が美味しいとは思えないが、そこら辺りがかえって下町風情を醸し出す訳である。「駒方どぜう」と同じようなものか。
東京の現在の標準は、薄皮で餡を軽く巻いた円筒形の小ぶりタイプ。葉は道明寺のように餅に全面的に貼り付くことがないため、どうしても固めになる。従って、葉を香り付けとみなし、食べない方も多い。小生は、葉こそ桜餅の命だと思うが。
つまらぬ話をしている訳だが、実は、葉が気になってしかたがない。
と言うのは、その翌日の夕食のデザートとして登場したのだが柏餅。小ぶりだが、餅菓子特有の緩さが無く、お米の香りがするタイプ。しかも、柏葉が生々しい新緑。
普通、自家製と称する菓子だと、乾燥若葉の真空パック市販品が使われるもの。縁起を担ぐなら、よく育った大きな葉が好まれるのでは。そんなこともあるのか、業務用には乾燥広葉も揃っているようだし。
食べずに季節感を出すだけなら、椿や紫陽花のように、青々した色が肝。しかし、柏がその類に該当するとは思えないので、葉を眺めていて不思議な感覚におそわれた。これはこれで、結構、楽しいものだったし。
そう感じたのは、乾燥葉にある種の幻滅感があるのかも。なにせ、餅が葉にベタッと付き易く、葉が切れたりして興ざめになったりする場合もあるからだ。剥離しやすくするため、わからないように油分を塗ったりしているお店があってもおかしくなさそう。
ところが、食した生葉タイプは付着感が無い。すっきりした気分で食べることができるのだ。
柏葉皿も、本来は生葉かもと思ったりして。
まあ、考えるほどのことでもないかナ。
餅を蒸すにあたって、とりあえず柔らかい柏葉で包んだにすぎないのかも。作り立てか否かで差がでるという話だったりして。
うーむ。
どうもイマジネーション不足だ。あかん。
(当サイト過去の記載)
和菓子の話でもしてみよう(20050519)
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