10年以上も前のことだが、「T型」人間たれという話が大流行したことがある。
専門性を深堀りするだけの「I型」でなく、専門外にも視野を広げよという主張だった。その後、専門性を発揮できる分野を複数持つべしという主張が加わり、「Π型」(π)が推奨されたりしたもの。
これは人材育成に関する話だが、組織文化のタイプ分けにも使えそう。
その場合、「T型」とは、特定技術領域で一流というだけでなく、戦略的オプションを広くとれるグローバル企業となる。視野が広いので、特定領域で深堀りしているにもかかわらず、柔軟に対応できる点が特徴と言える。
もちろん「I型」も存在する。特定領域の技術に徹底的にこだわる企業のこと。その多くは、職人芸的なブラックアートの世界でのピカイチ企業。世間的には目立たないことが多いが、日本には、そんな企業は少なくない。
その類稀なる力量を知っている異分野の企業から助力を仰がれがち。視野は狭くても、オープンマインドな姿勢を保てば、事業の幅は自然に広がる。
「T型」と「I型」が絡み合うから、日本の産業は新しい取り組みが可能だったとも言えるのである。
しかし、両者は好調だったかといえば、そうでもない。この好循環を利用する企業が存在するからである。「∩型」とでも言ったらよいか。資本力を駆使して当該産業に網をかけて、美味しいところを掬ってしまうのである。ただ、本物の「T型」と「I型」なら、知恵で戦うのが習い性だから、なんとかそれに耐え生き延びることができるもの。一方、「∩型」だが、一時的には好調でも、網をかける対象が見つからなかったり、潤沢だった資本力に黄色信号が灯ると不調に陥りがち。
まあ、こんな状態こそ、資本主義経済のダイナミズムそのものとも言えよう。「∩型」が存在するからこそ、マクロで資本効率が上がる訳だし。
ところが、こうした動きに棹さしかねない企業が存在する。
「T型」や「I型」に似ているが、全く異なるタイプ。「Π型」ならぬ、「H型」企業とでも言ったらよいか。「I型」的なこだわり分野を、強引に繋ぐのである。そのため、それぞれ面子が生じ、各々がリーダーの地位を確保することにやっきとなりがち。これ自体は結構な話だが、問題は、他の分野の資源を回してもらってもそれを実現させようとする体質。資本コストを無視して突っ走りがちなのである。視野は狭いため、「これしか手が無い」と称し、戦略オプションを限定するからでもある。従って、それが外れたりすると打つ手に窮したりする。
「T型」や「I型」企業にとっては、競争したくない企業と言えよう。下手に競争すれば、全社共倒れになりかねないからである。
ご想像がつくと思うが、「H型」のセンスはドメスティク。と言っても、グローバル化を避けているという意味ではなく、逆のことが多い。国士として動くナショナリスティックな体質があるということ。だからこそ、資本コスト割れでも頑張れるのである。インターナショナルなセンスを好む「T型」や、独自のコスモスを形成しがちな「I型」とは水と油と言ってよかろう。
この「H型」企業だが、公共的な市場なら圧倒的な強みを発揮したりするもの。専門性が頭抜けていたりするので、独自のイデオロギー的訴求が認められることもあるからだ。それに、資本コスト割れの競争を厭わないから、「T型」は駆逐されがち。そのため、結果的に、寡占化利潤を謳歌できたりして。
なにが言いたいかおわかりだろうか。産業の競争力というものがあるとすれば、それを高めるために注意すべきなのは、「T型 v.s. H型」の状況をつくらないこと。力がある企業が存在しているにもかかわらず、互いにガチンコ勝負をさせたりすると、両者ともに衰微しかねないのである。