チベット人亡命者の子供村で用いられている、中等教育前半の教科書(邦訳)を読もうと試みたが、あっけなく挫折。
と言っても、「チベット史−王統史」(神話と統合されたもの)と「宗教−インド仏教史・仏教学」(釈迦とその弟子の説話、および、仏教基本用語の解説と各宗派思想の簡単な紹介)は軽く読了できたのだが。
問題は「論理学」。
禅問答のような内容なのである。冒頭から、頭がまったくついていけない。
もともととっつきずらい分野とはいえ、中学一年生程度を対象にしているテキストだから、苦もなかろうと考えていたが、それは甘すぎた。それこそヘーゲル「大論理学」の比ではないのである。
小生は読んでいて頭が痛くなった。
訳者記載の「注」によれば、「日本語で読んでも理解は得られない」とのこと。そもそも、チベット語の文法的な特性に根ざした議論だし、指導者による説明を前提にしているから、テキストを読んでもさっぱりわからぬのは止むを得ないらしい。しかも、解説書の類が見つからない状態だとか。
うーむ。そう言われても。まさに、なすすべも無し。
ちなみに、練習問題はこんな感じ。・・・
(質問) 命題を読み、以下の4つのなかから適切な答を選べ。
1 その通り
2 何故か
3 根拠が成り立たない
4 必然性がない
(命題)
木製馬車の原因を主題として、
木であることが帰結する。
なぜならば、木製馬車を生じさせるものだからである。
日本なら、さしづめ、アンチョコが別途出回っており、丸暗記することになろうが、それはあり得そうにない。学ぶのはそういうことではなく、おそらく「師」の絶対性。しかし、盲信するなという訳だから、「師」の教えを徹底的に自分で考えざるを得ない訳だ。つまり、釈迦から、自分まで連綿と続いてきた口頭伝授をじっくり想起せよということだろう。
そんな「学び」を徹底するのだから、実践より、思弁を優先させる生活態度が自然に身に付いてしまうということか。
ただならぬ社会が形成されることになる。
チベット文化恐るべし。
焚書したところで、口伝経典が残る世界なのは明らかであり、歴代中華王朝が宗教上は檀家的地位を選択してきたのもむべなるかな。
・モンゴル(蒙古族)---ダライラマ称号贈与
・明(漢族)---潅頂国師称号贈与
・清(満州族)---ダライラマを北京雍和宮に招聘
はてさて、中国共産党は今後どうするつもりなのだろう。水とリチウムを手放す訳にはいかないとしても、このような文化と、共存できるとはとても思えないが。
(本) チベット中央政権文部省(石濱裕美子/福田洋一 訳) : チベットの歴史と宗教―チベット中学校歴史宗教教科書― (世界の教科書シリーズ35) 明石書店 (2012/4/10)