先日、銅鐸の絵にトンボが登場する所以は氷河時代への郷愁、と勝手な推測を書いてしまった。くだらん思いつきと感じた人も多かろう。それならアメンボの絵は一体全体何なのと思った方も。
だが、もし、そんな感覚を覚えたなら、それは、所謂守旧派的頭の働かし方をしているというだけのこと。自分は社会に貢献しているとの自負があるため、マインドセットを崩すことができないと考えた方がよい。
もしも、構想力で勝負したいなら、こういう時こそトレーニングのチャンス。トンボのアナロジーでアメンボも考えることができるか、早速、頭を使ってみるとよい。他人の説に同意できるか、情感で決めることをせず、その主張の本質を探ってみると、新しい考え方が生まれることがある。その体験を積むと、文殊の知恵の生み出し方のコツがわかるもの。
と言っても、興味の範囲が狭すぎると、余りに馬鹿馬鹿しくてとてもできるものではないが。
ただ、その作業、たいした労力がかかる訳ではない。一寸、検索してみるだけのこと。いわば御茶の子サイサイ仕事。それなりの頭の使い方をする必要はあるが。
せっかくだから、ご参考に書いておこうか。
一番大切なことは、ヒントを探したり、参考になりそうな新しい見方を発見しようという姿勢で検索しようとはしないこと。効率的に見えるが、逆効果しか生み出さない。ボーッと色々眺めるに限る。気付きは、そのものズバリの発見ではなく、たいていはアナロジーで、自分の頭のなかから突然やってくるものだからだ。
この場合、日本語サイトを色々と眺め続けるのは避けた方がよい。なにせ、コピーだらけ。同じ話をすることが嬉しい人が多いのである。そんなものを見続けていたら頭が働かなくなるのは必定。もちろん、少数ながら、丁寧に細かく記述してくれる有難いサイトもある。そうなると、どうしても、その内容を深読みしがち。これもよした方がよい。対象範囲の設定が無原則だったりするからだ。もっとも、無原則と言うのは言葉の綾。普通に言えば「常識」の範囲。それだけならよいのだが、書き手が気になる範囲で留めることをせず、一般読者の関心がありそうな事項をバラバラと加えてしまう。このため極めてバランスが悪くなり、書き手の視点がよくわからないし、どの範囲で検討しているのか見えない。これが一番こまる。・・・この感覚がわかるかどうかがトレーニングになるかどうかの分かれ道。
例えば、英語でみるだけでも様相は一変する。
アメンボの名称にしても、結構網羅的に記載されており、water striders系だけでないことがすぐわかる。なんと、Jesus bugsまで。成る程、こういう風に虫を見ることもできるな、と気付かせられる。
そうそう、ご存知の方もおられると思うが、西洋では、蛇を助けたりする嫌な虫のイメージもあるのだ。これは、どういうことか気になったりして。ただ、日本とは違って、あくまでも、多くの昆虫同様、bugにすぎないのではあるが。
さて、ここでトンボ論の理屈を振り返ってみよう。
自分の国土を確定するための古代儀式たる「国見」で登場する生物なのだから、それなりの意味があると考えるということに尽きる。あとは想像するしかない。小生は、トンボの存在に感じ入った心情として、郷愁とみなした訳である。要するに、辛かった氷河期を乗り越えて繁栄を勝ち取ったのは、我々とトンボだネといったところ。
トンボの一斉羽化の早朝シーンを写真で見たことがあれば、そんな感覚を共有できるのでは。
だが、water stridersを眺めて、同じように感激することなどありえそうにない。
ここで諦めてはいけない。
アメンボには珍種が存在するからだ。それは海面上に生息するウミアメンボ(sea skater)。海の昆虫であり、素人からすれば、驚異的な例外種だ。そんな昆虫など聞いたこともない。
しかも、驚くなかれ、だだっ広く大波が当たり前の大洋の、海水表面で採取される。どうやって生きているのか、気になるではないか。
この分野は、Cheng教授が第一人者のようで、相当に研究が進んでいる模様。流石、科学の国である。おそらく、長い年月をかけ、大枚はたいた、ただならない数の標本も揃えているに違いない。
そんななかで、日本の研究者も活躍していそうで頼もしい限り。「外洋棲ウミアメンボ4種の2大洋分布・・・」といった論文を見かけたに過ぎないが。(「白鳳丸」や「みらい」での観測結果か。)まあ、一生のうち、一度でよいから新種発見したいなら、絶好の分野と言えそうだし。
話の筋から外れてしまったので戻そう。
古代の海人はウミアメンボをよく知っていた筈。もちろん、当時のエリートに限った話だが。
孤高の人として、命を賭けて、山ではなく海に漕ぎ出すのが海人の宿命。どういう理由かは定かではないが。ともかく波に翻弄される大海原に出るのだ。そして、そこで突然、ウミアメンボに出会う。"Row, Row, Row"のお仲間感情が湧いておかしくなかろう。
ただ、それだけで、アメンボを慕うことはなかろう。
小生は、ウミアメンボの本流はこうした外洋性の種ではないと見る。海辺で生きる系統こそが普通の種。素人の印象でしかないが、沿海性の種の主生息域は東南アジアから太平洋の島嶼のようだから、ここら辺りが海進出の発祥の地だったのではなかろうか。日本に流れ着いた海人と同じような状況と言えそう。ここが琴線に触れたのでは。
古代人が海岸で普段見かけていたアメンボは、島の定住生物にしか見えなかった。ところが、荒れ狂う遠洋で出くわしたのである。その驚きたるや余りある。どこに餌があるかわからない、広大な大洋に、危険を省みずに漕ぎ出すアメンボの様子に感じ入ったとしてもおかしくなかろう。
そんな生き物が繁栄している様子を眺めるのは嬉しいもの。それは郷愁感を誘うからである。
(サイト)外洋に生きるウミアメンボ (2009年01月06日掲載)公益財団法人 藤原ナチュラルヒストリー振興財団・・・この項の著者の所属先は盛岡大学文学部
(記事) Row, Row, Row Your Bug _ Colorful Experiments Solve Water Strider Mystery: Their Middle Legs Serve as Oars By Guy Gugliotta Washington Post August 7, 2003
(当サイト過去記載) ムカシトンボが醸し出す郷愁感(2012.6.1)