■■■■■ 2012.6.12 ■■■■■

  日本語コミュニケーションと「知」

小生は、日本企業の特徴として、組織が持つ独自の「暗黙知」を大切にしたがる風土をイの一番にあげたい。その理由はいくつかありそうだが、日本語のコミュニケーション特性によるところも大きそう。
これは利点にもなるし、欠点にもなるので、自覚的に活用できるかが、知的創造力増進の決め手と言えそう。

言葉によるコミュニケーションを考える時に、伝えたいことは2つあるから、それを峻別して考える必要があろう。
1つは言うまでもなく内容というか、意味。
もう1つが、話し手の立ち位置。
ビジネス会話なら、つい前者が重要と考えてしまいがちだが、それは思い込み。知恵を生み出すには、後者の方が重要なことが多い。
特に、話が弾むのは、後者の内容が豊富である場合。
逆の場合を考えれば、どうしてかすぐにわかる筈。立ち位置情報が前提の会話だと、どうしてもマニュアル型になってしまうからだ。そこから新しい知恵が生まれるとは思えまい。

こんなことを書くだけで、ピンとくる人もいらっしゃるかも。
現代的な若者が知恵を生み出せない状態に陥ってもおかしくない理由の一つがここにあるからだ。
波風を立てないように、曖昧な話で終始するとか、自己主張を避ける体質が浸透すれば、そうならざるを得まい。互いに、立ち位置を明らかにしながら議論をする能力を失いつつあるのは、ある意味日本の危機である。

ただ、若者に、自分の意見が無いという訳ではなく、実は逆なのである。自由発言の場が用意されると、勝手気ままに暴走発言を始める。相手の立ち位置など全く気にしなくて済むので嬉しいのだろう。言うまでもないが、これは最悪パターン。自分の意見を抑える人が多い状態なのだから、下手をすると、一人の思い込みに皆が引きづられかねないからである。
会話の場の雰囲気がどうなるかといえば、一人とそれに追随する人達がだんだん攻撃的になり、反対論をことごとく潰していくことになる。なかには腑に落ちないと感ずる人もいるのだが、その発言は曖昧そのもので、なにを指摘しているのかすぐにわからないから無視されるだけ。そんな状態だと、組織的に創造性を高めることなどおよそ無理。

そんな場を眺める体験を何度も重ねていると、日本語の特徴を生かしている企業だけが、創造性強化に成功しているのではないかと思ったりする。たまたま日本語に興味があるから、そう感じるだけかも知れぬが。
小生は、言葉の視点では3点に注目している。その1つを書き留めておこうか。ご参考になればよいが。

専門家は語族分類がお好きのようだが、日本語はどの語族に属するのか定かではない。孤立していると見る人もいれば、地理的に近い大陸系統の変種と考える方もいる。小生は、古代の西太平洋島嶼文化を引き摺った雑種言語と考えているのだが、この考え方が極めて重要。
要するに、日本語が追求してきた原理原則は、誰でもすぐに話せるという点と見る訳である。多くの人はその逆と考えていそうだが。
なんといっても、面白いのは、とりあえず交流したいだけなら、日本語はすぐに学べて使える手の言語という点。それに、相手に興味を持たせれば、非日本語の単語を覚えさせて使ってもらうこともそう難しいことではないのも世界的に珍しいのでは。ただ、そのことは、本格的習得が楽であることを意味はしないが。
と言っても、こうした主張に確たる証拠がある訳ではない。以下に示す発音の特徴から、強引に推定したにすぎない。論理的飛躍があるのを承知の上で。
 ・母音の数は少ない方である。
 ・二重母音は原則使用しない。
 ・長母音(−)らしき用法が多用される。
 ・母音だけの短い単語がある。
 ・子音を用いても、単語は必ず母音で終わる。(例外は「n」である。)
 ・子音活用方法がわかりやすく整理されている。(五十音図にできた。)
 ・音節にする場合、音の高低の違いで、異なる語になったりする。
 ・外来語は発音し易いように音を変えて使う。
母音にこだわるというより、できるだけ簡素な音の表現を追求してきたということ。学ぶのは楽な筈。難しいというなら、それは教え方の欠陥。
さらに、発音とは直接関係ないが、違う言語由来の言葉を平然と同居させる点も一大特徴と言えよう。
 ・同音異義語は少なくない。
 ・文字化した漢字単語の読みは複数存在する。
 ・同じ意味の異なる単語を場に応じて使用する。(外国語を使う。)

ここからが肝。
英仏独伊西葡蘭路・・・といった類の言語と根本的に違う点とは何かという問題。

そこで、先ずは、素人が考える、西洋語の特徴をあげてみよう。
 ・子音の発音を重視していそう。
 ・母音の数が多い場合、その峻別は結構重要となる。
 ・音節にする場合、音の強弱を間違えると通じない。
 ・聴覚的に単語を判断するのが習い性になっている。
 ・一語一発音対応が単語表現の原則である。
こうして全体を見れば、すぐにわかる。
西洋語は、一個一個の発音を互いに聴覚的に認識することを通じたコミュニケーションをベースにしている訳だ。極めて具象的な表現と言えよう。
日本語はこれと比べるとかなり曖昧な部分を持っている。ムード的に単語の差異を表現しようと努めていると言えなくもなさそう。単語の明確さより、全体の言い回しの雰囲気を伝えようとしている言語との印象は否めない。日本語は美しいと語る人がいるが、それは本質的に韻律的な言語であることの言い換えに過ぎまい。逆に、厳密なモノの定義を言葉で表現するのは、苦手なのは当たり前かも。

こんな風に理解すると、創造性喚起の方法論が西洋語と日本語で同じ訳がなかろうという見方になってしまう。
簡単に言えば、西洋語はモノの定義が得意な聴覚的言葉で、日本語は感情表現が得意な視覚的言葉。この特徴を生かした発想方法ができるか否かで生産性は大きく変わるのではなかろうか、と。


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