牛車の三線から響く「安里屋ユンタ」の調べ・・・。
この一文を読んで、だいぶ前だが、石垣島に泊まって、日帰りでこの島を訪れた時の印象が戻ってきた。
珊瑚の海の小さな離島は都会人にとって魅力的である。当たり前だが、暑いからゴチャゴチャ人が動くことなどありえず、会話や人工的な音に刺激を受けることは極めて稀。鉄やコンクリートの造形物もほとんど目に入らないし、普段とは全く違う色彩に囲まれて一日過ごすことになる。見かけない植物や鳥はいくらでも見つかる。インドネシアでは、散歩中にヒト並の大きさのトカゲに出くわしたこともある位だ。もちろん、海を覗けば、珊瑚の周りで光輝く様々な魚が踊っている。
この環境で、気分転換できない筈がなかろう。
小生も、プロウスリブ(インドネシア)やママヌザ諸島(フィジー)の小さな離島で、のんびりと過ごすことが楽しみだった頃があった。
現地ののんびりした歌も聞いたりしたもの。楽しいから、フィジー音楽のカセットテープをワンサカ購入したりして。言うまでもないが、どれもこれも同じように聞こえる訳だが。
しかし、その調べに「心震える」ことはなかった。
なにせ、いかんせん観光地は観光地。地元民と文化交流している訳ではなく、その実態などほとんどわからぬまま。だからこそ、リゾート気分でゆったりできるのである。交流というなら、泊り客(ほとんど欧州)との雑談である。
こんな話をしたくなったのは、石垣島で「安里屋ユンタ」を聴いて、この歌の本質に触れた気がしたから。
よく聴く歌は、1934年発表の星克作詞版らしい。要するに、大幅に手を加えた流行歌なのである。
もちろん、掛け声の「サァ ユイユイ」・・・「マタハリヌ チンダラ カヌシャマヨ 」という言葉は同じだが、節回しや歌い方は、はっきり言って似て非なるもの。
そもそも、これは独唱曲ではないのだ。おそらく、二手に分かれて交互に語り合う形式。言葉の拍子も5・7である必要は無さそう。その代わり、単語を発音する際の高低表現は重要。それが歌い手の気分を伝える道具だからだ。三線の調べはそれを盛り上げるに過ぎない。伴奏など、なくてもかまわぬものかも。
どう考えても、牛車上の三線演奏の歌ではないということ。
雅楽同様の古楽の系譜を残している音楽かも知れず、貴重な無形文化財ではなかろうか。それを、現代の観光産業用にアレンジするのも手ではあるが、連綿と伝えてきたというのに、もったいない気がする。
尚、この歌に「心震え」た方の真意は、もちろんこの歌にある訳ではなく、「この島を日帰りで済ますにはもったいなさすぎる」というところ。
小生は、その理由を、「歌」ではなく、「猫」と見た。
もちろん、島に居ついている72匹の猫の写真集を出版した方だからだが。ただ、コレ、よくある犬猫モノとは趣が違うようだ。なんと、モデルのうち67匹も、実名が公表されているのだ。
竹富島で過ごすなら、誰とでも、それなりのおつきあいをせねばならないということか。そこが一番の嬉しさかも。
(theMag.jp)
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(当サイト過去記載) 石垣島のウリ(2006年7月12日)