■■■■■ 2012.7.6 ■■■■■

  深いお付き合いなしの観光をお勧めしたい

竹富島を訪れると、心の安らぎを感じる方がおられるとの話をした。ご本人は気付いていないかも知れぬが、その心情には多少の屈折感もあるのでは。などと言うと大いに憤慨されるかも知れぬが。

何故そんなことを気にするかといえば、表面上は、観光地化しているように映るが、実体は連綿と続く信仰の島であるから。そんな信仰を、部外者が覗き見たり、議論したりするのはえらく失礼な話。と言うか、そんな部分に直接的に触れず、肌で感じ取るだけで済ますから、滞在するだけでなんとはなしに「癒された」感覚が生まれるということでは。
どんな風土か御嶽の話を引用しておこう。・・・
竹富島には屋久島から渡来した鍛冶神「根原金殿(ネーレカンドゥ)」が玻座間御嶽に祀られている。鉄の生産ができなかった先島では、極めて重要な渡来神である。半分神話の世界と思いきや、そういう訳でもない。2011年に、70歳で玻座間御嶽神司を引退された富本定子さんは、その末裔にあたるとされているからだ。
この王、島を統一した後、与那国島に進出する。ところが、現地妻に殺害されてしまうのである。
「与那国島の人は根原金殿を埋めた場所を秘密にしてきたが、竹富島では島中に芋虫が大発生し、松並木も全滅したことから、竹富島の部落会でユタの判断を聞いて、ウフツカサ以下四名が与那国島に派遣された。そして根原金殿が葬られたという秘密の場所を十日間もかかってやっと探し当て、墓の土を竹富島に持ちかえり、玻座間御嶽に祀った。それが太平洋戦争のはじまった一九四一年(昭和十六)のこと」なのだ。現代の話である。
(谷川健一:「蘇る海上の道・日本と琉球」文春新書 2007年 195-196頁)

沖縄の「おばぁ」が元気なのを見て、勇気が湧いてくるという手の話も、現実を良く知らないからではなかろうか。明るく愉快でクヨクヨせずに強く生きているのは確かだが、それにはそれなりの背景があるとみるべきだろう。小生は、女系制度が生きているのだと思う。要するに、家の実権を握るのはおばあさんということ。それならパワフルで当たり前では。家の行事から、経営まですべてを差配している人は少なくない筈。

さあ、2つの話をしたが、それで何を言いたいかおわかりだろうか。
余所者からすれば、よさげに見える状況だが、もし自分がその社会の一員だとしたらどのように行動しなければならないか想像してみるとよい。
コミュニティや家の都合が、個人の意志より優先される世界かも知れないのである。黙々と他者が決めたルールに従って動かざるを得ないということ。そんな社会がはたして魅力的なものか考える必要があろう。

ただ、こんなことは、沖縄に限る訳ではない。日本のどの地域にも、多かれ少なかれ、独自の風習があり、始めて知った部外者には面白く感じるもの。しかし、その社会のメンバーになったりすれば、そうは言っておられまい。多くの場合は余りに面倒で厄介な人間関係だらけで辟易するのでは。自由に生きたい都会人には耐えられないかも。しかし、日本の過半はそんな地域である。それが現実。

以前、都会から温泉地へ移住して本当によかったとの話を延々と聞かされたことがあるが、その方がおっしゃるには、温泉地ならどこでもよい訳ではないそうだ。都会的なおつきあいで済ませることができる地域はそうそうはないという。
驚いたのは、その方は、もともと風光明媚な田舎育ちなのである。しかしながら、避けようがない冠婚葬祭を除けば、帰郷する気は皆無だというのである。なにせ、お土産の算段だけで頭が痛くなるという。本家から分家まで、家それぞれに格付けがあり、それに対応した品物を選ばないと非常識人と見なされるそうだ。しかも、延々と挨拶回りだらけ。確かに、そりゃたまらぬ。と言うか、それが楽しくないとこまる訳である。

観光とは、こうした現実を直視しないからこそ楽しいのである。所詮は余所者であり、同一心情を共有することは無理であることを踏まえておくべきでは。お互いに嬉しいところだけを合わせて、とことん、一時を楽しむのがよいと思う。一知半解の社会派的な心情で眺めることだけはおよしになった方が賢明。

(〜 竹富島ウェブログ 〜)西表石垣国立公園 竹富島ビジターセンター 竹富島ゆがふ館---April 07, 2011 玻座間御嶽、September 02, 2011 カンユリ
(当サイト過去記載) 安里屋ユンタについて(2012. 6.23)


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