企業の第一線で新製品や新規事業の企画に携わる人達とずいぶんおつきあいさせて頂いたが、将来を見据えて新しいことを見つける作業がことのほか苦手な人が多いようだ。
間違えてはこまるが、業務に向かない人をわざわざ起用する筈もなく、それなりの人材評価が行われ、適任者とされた人達に違いないのである。実に不思議な感じがする。
この原因を追究した訳ではないので、当たっているかはわからないが、風土的なものではなかろうか。
そう思うのは、個人を見る限り不適な人材としか思えないのだが、集団でガヤガヤ話していると、構想力ありそうな人の知恵を上手く活用することができる能力はあるからだ。いわば、他人の褌で活躍する訳。
などと言うと、ずる賢そうなイメージに受け取られてしまうが、それは違う。瑣末なアイデアのよさげな点に敏感に反応する能力があるし、多くの人が賞賛するアイデアにもかかわらず、さらなる磨きこみを強硬に要求したりするからだ。つまり、評価能力が抜群ということ。
そのため、それなりに企画機能のうちのアイデア創出部分は上手くいっていたりする。
しかし、考えてみるに、こういった組織運営は、後追いで先頭を凌駕する類の企画や、今年の流行をつくるといった手の企画には向くかも知れぬが、全く新しい発想をベースにした革新的なものを創出するのには不向きでは。
そろそろ体質転換が必要なのではなかろうか。
ただ、その場合、注意すべきは最近の若者の体質。
構想力発揮には向かない方向に進んでいるから、注意した方がよさそう。
・時の流れを感じ取るセンスを欠く。
-完璧な核家族だから、世代を超えた家族的交流はほとんど無い。
-学校やコミュニティで、年齢差を越えたつきあいをしたことは無い。
・歴史の肌感覚は全く無い。
-家、学校、商店、の日常生活シーンで歴史を感じさせるものは稀。
-歴史を実感できる情景に出会った経験はほとんど無い。
・刹那的な対応で生きている。
-すぐに時間が潰れる類の遊びや趣味を選好しがち。
-たいした意味もなく、仲間と群れることを自己目的化している。
世界的にそんな流れかもしれないが、日本の場合、余りに歴史感覚が乏しい。時間軸上での視野が狭いままでは、こじんまりした発想から脱することは難しいのでは。