■■■■■ 2012.7.25 ■■■■■

  東京暮らしからなかなか抜けられぬ理由

夜の九時過ぎ、ご近所に夕食を食べに行った。コレ、東京だからできることのようだ。
東京を離れると、都市と称していても、閉店は早く、街からすぐに灯りが消える。たまたま開いているお店を探しあてても、食事メニューがなかったりする。要するに、遅くまで仕事をするとか、仕事時間をずらすことができない地域なのだ。
昼間の雰囲気は都会的に映っても、東京とは文化が全く違うのかも。

つまらぬ話をしているのは、東京は、つくづく奥が深いと感じたから。

と言うのは、食事にいくつもりの店の傍らに他店の宣伝看板が出ていたので、気がかわったのである。和食をよして、軽くビールとピザにするかといった調子。
初めて入ったのだが、カテゴリーとしてはバー。驚いたのは、従業員イコール出演者というハウスバンドの演奏付きだったこと。全員プロ。なかでも、若手の煌くような歌声には堪能させて頂いた。お客さんも持参ギターで参加するが、こちらもプロ顔負け。レベルが矢鱈高いのである。音楽にのめりこんでいる人にとってはこれほど楽しい場はなかろう。
お陰で、愉しく過ごすことができた。

小生には疎い分野なので、おそらく知る人ぞ知る手のお店だろうが、今の今までこのお店の存在に気付かなかった。こんな世界があちらこちらにあるのが、都会の凄さでは。
最近は地方に魅力的な美術館や博物館があり、東京より素敵な展示も少なくないが、まあピンキリ。桐バージョンは、東京を真似て、それを凌駕すべく頑張るクチ。中央集権なにするものぞという意気は買うがピント外れ。
東京の特徴とは、極めて狭い分野に特化していたり、個人的な嗜好が色濃い小さな美術館や博物館がそこここに存在する点。部外者にはさっぱりわからぬ一過性の展示会も数多い。多くは、不思議な世界である。しかし、そんな刺激に触れてみたいなら、いくらでもチャンスがあるというのが東京のよさ。何が、何とつながるかなど、誰にもわからない訳で、雑多な文化がゴチャゴチャしているからこそ、新しい息吹が芽生える訳である。
換言すれば、東京には、やりたいことを本気でやる人が大勢集まっているということ。

そんなことを考えると、都会から離れたくなる人の大半は、やりたいことがあっても、それを本気で追求しないことに決めた方々では。
どうしてもやりたいことがあったら、のんびり田舎暮らしなどできる筈がなさそうと思うからである。問題が発生しても、お金を払えばなんとかなるサービスがあるとは限らない地域に行く必然性は思いつかないと言ってもよいかも。
何事も、自分で解決するか、知り合いに頼むしかない社会に住むのは大事。他人に助けてもらうということは、自分も人を助ける義務を負うのと同義。互いに生活習慣が全く違うなかで、そんなやり方が上手くできる可能性は低いと思うのだが。

都会のよさは、本気でなにかに打ち込もうと思えば、徹底的集中が許される自由がある点。関心分野外の人達と全く係わりを持たない生活が可能ということでもある。従って、同志との交流の場も作り易い。その気になりさえすれば、煩わしいこと一切に関与しない環境を作れる訳だ。見方によっては社会的には無責任な姿勢だが、自由を謳歌できるのは間違いない。そんな環境を捨ててまで田舎に行きたい人とは、すでに1人で自分の世界を構築できる能力を身に着けた人以外に考えられまい。極く一部の人しか当てはまらないのでは。
やりたいことが無いとか、あっても追求する意志もない人にとって、知り合いがいない田舎など、都会よりずっとつらかろう。
但し、知り合いがいて、その慣習に合わせて生きていけそうなら、都会脱出で、まず間違いなくお気楽な生活を送れるに違いない。

東京での生活が長くなると、知り合いがいない田舎とは、気晴らしに行くところ以上ではなくなる可能性は極めて高い。


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