よく眺めるサイトに、「若者ホームレス」のTV番組を見たとの一行あり。これだけなら、ホホー、そうかで終わるのだが、場所を「札幌」と特定していたので妙にひっかかった。古い土着文化に引きずられることが無い上、流行には敏感な土地柄だからである。
と言うことで、番組紹介に目を通して見た。以下のような内容だったらしい。
(端緒情報) 札幌で20代から30代のホームレスが、この1、2年で急増
(問題意識) なぜ、北の地で、今、若者ホームレスが生まれて、しかも急増しているのか?
(問題提起)
「自立支援の大切さと難しさ」
「今、足りないことは何なのか?」
(映像内容) 知られざる若者ホームレスの実態を克明に記録
・あるホームレス支援団体の宿泊施設を訪ねると、実に9割が20〜30代
・そんな人達がホームレス化した理由は様々
・始めたばかりのホームレス支援団体と被支援者の間に齟齬発生
見ていないので、これだけでは、なんとも。
せいぜいのところ、こんな印象。
・若者の場合、都会で、働き口が見つからないことはおよそ考え難い。
・ホームレスでも食べていける環境だからこそ、発生する現象。
・家族や友人から縁を切ったか切られていそう。
・住む場所をなんとしても確保する気はなかったと思われる。
従って、自らホームレスへの道を選択したと読むこともできないこともなく、「自己責任」と見なされても致し方あるまい。
しかし、そうも言い難いのは、ホームレス化すると這い上がることがほとんど無理な社会構造だからだ。
極端な言い方をすれば、住所不定者は、即、不審者と見なされかねない風土が根強いということでもある。
換言すれば、自分がそんな「異端者」と同類と見なされないように、気を遣って生きている人だらけの社会ということ。そんななかで、そのことを十分理解していなかったりする人もいよう。又、そんな文化をトコトン嫌う人も。そんなタイプだと、生活基盤が脆弱だとホームレス化し易いのは間違いなかろう。そして、一旦、ホームレス化すると、そこからの離脱もなかなか進まないのでは。
(日本の多数派は、固定した「住所」持ち。それが、信用に繋がる社会なのは否定しようがない。なにせ、都会なのに、無理をしても持ち家獲得、入居した公営住宅死守、の人だらけ。転勤族は例外扱いだが、頻繁な移動性「人種」は「異端者」と見なされる可能性が高い。)
ただ、そんな社会でも、昔は、目に見える若者ホームレスは極めて少なかったのだと思う。食えなくなれば、当然、そうなるしかないから、相当な数が生まれておかしくなかったが、ホームレス化を待ち構えている組織が存在したからである。そう、その労働力をトコトン生かすドヤ街ビジネスや暴力団系組織。
ところが、生活レベルが上昇し、蛸部屋生活に耐えられる若者が滅多にいなくなった。ダーティな雇用を許さない制度も出来上がった。こうなれば、必然的に、ホームレス現象が目立つことになる。
こんな風に考えると、若者ホームレスへの支援は簡単な話ではないことがわかる。風土が変わらない限り、そう簡単に解決できる問題ではなさそうだから。
従って、若者のホームレス化を防ぎたいなら、先ず進めるべきは、こうした社会風土を理解させることでは。その上でどう生きていくか意思決定してもらうべきだと思う。もしも、どうしても耐えられないなら、当人のことを考えれば、海外への脱出をお勧めするしかないかも。それはもっと過酷な人生になる可能性は高いが。
ところが、今、その逆のことが行われているような気がする。その典型が「ノマド」礼賛の風潮。
コレ、有閑層ならお気楽そのものの生活スタイル。信用基盤構築済みの、固定した「住所」持ちなら、それをファッションとして取り入れることもできる。それは、結構愉しい人生かも。
問題は、それをクールビジネスと囃す人がいること。そうなれば、生活基盤が脆弱な若者が勘違いして手を出すことになろう。もちろん、「ノマド」化するのが悪いという訳ではない。没落の危険性はあるが、なんとしても自分なりの生活スタイルを作りたいと苦闘する気概があるなら、若者らしい決断で、賞賛してもよい位だ。
しかし、そんな人はほんの一部。
多くは、失敗時の備えなど考えもせず、表層的に「ノマド」を真似ただけの、およそ緊張感を欠く生活をしている。何をしたいかでなく、ただただ「ノマド」になることだけが目標なのである。
ホームレス予備軍が大量生産されていそう。
(TV番組) 第21回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『若者ホームレス 崩れる北海道の底』(制作:北海道文化放送)<8月1日(水)26時10分〜27時5分>