「ガタスタ屋」との聞きなれぬ言葉が目についた。
文芸書評屋さんを揶揄する言葉、「ガター&スタンプ」の省略語なのだと。"私は「ガター&スタンプ」ですが、それがなにか? "というコピーに引き続いた仕掛けである。それに見事に釣られた訳。
正直な話、小生はこの用語の創作者のお名前を存じ上げなかった。Twitterで「スタンプ」を押したら復刊されたりするそうだから、有名なお方のようだ。とは言っても、連載先は「本の雑誌」。世間的には本好きの世界でのことと見てよかろう。しかも、書評の対象作品分野が珍しい。ガイブン(外国翻訳本)だそうな。
でも、逆に、その狭い世界の人脈図を頭に入れている人は滅多にいないだろうから、どうしても翻訳出版したいと考えるプロの見立てを理解し、よさげな作品を紹介することができるのはこの方との定評があるに違いない。
尚、業界常識ではこの分野のコア読者(正確には潜在的書籍購入者か)は3,000人だそうである。コレ、今の仕組みでの出版ではギリギリの数字と言われているらしい。高齢層過多が予想されるから、この数字は減る一方と見てよさそうだし、そこでの書評ビジネスがどうして成り立つのか不思議。
もっとも、似たような話は、「本」でなくとも、どこにでもあるが。
そして、どこでも、そんな話になると、それがなにか?ではなかろうか。
そもそも、本というのは大半はニッチで出版されるものでは。マスコミ型出版ビジネスは一部の話であり、小生は、「本」の文化としては、ニッチこそが主流だと見ている。味噌も糞もというえらく下品な言葉があるが、それと同じで、両者は似て非なるもの。
ニッチ型のビジネスは目的も考え方も違うものである。一発当てることが不可欠ではないし、それを嫌っていてもおかしくないのだ。小さな市場のなかで、いかに持続可能なビジネスに仕上げることこそが手腕の見せ所ということ。それこそ、迷惑をかけないなら、資産を食い潰しながら、短くも美しく燃えもアリ。手がけている人はそれぞれレゾンデートルが違うから、ビジネスは多種多様な筈。
もちろん逆のこともあり、突然、大市場に成長したりもする。そんな自由度があるからこそ、生き生きした文化を育てることができるのだと思うが。
ただ、日本の場合はこのニッチビジネスが歪んでいる。
なにせ、ナンデモ屋とモノ真似屋稼業を兼ねながらの、自称ニッチ「文化」ビジネスが多いのである。要するに、ヒット本の収益にぶる下がって、優雅な気分でニッチを追求しようとの、信じ難い仕組みが続いているのである。まさに、なんだかねの世界。
そんなスタイルの出版事業を愛してやまない人達が、出版文化を守ろうと主張するのだから、部外者にしてみれば大笑い。なにがなんでもやりたい分野を持っているプロにとっては、おそらく、つらい世界だろう。
こんなことを書きたくなったのは、インタビューを読んでいて、「成る程」と感じた点があったから。・・・
"書評の主役はあくまで対象となる本なんですから、その本に評者が沿わなければいけない。向こうがボクシングしたいって言うんだったら、ボクシングをする。相手のリングにこちらが上がらなければ始まりません。"
"これまであれだけ「慎太郎大っ嫌い!」って言ってきた私ですが、なんと今のところ彼の作品を誉めていますからね・・・"
"私は変化を恐れたり忌む人を尊敬できません"と、キッパリ。
イイネー、この姿勢。
だいたいの書評は、読み始めてすぐにわかる仲間内の宣伝。固定化された考え方で、同じ見方を続けることが喜ばれるから致し方ないらしい。"作家の評価を変えると「掌返し」なんて言って怒る人"だらけなのだ。
従って、そんなムードに棹差す人には是非とも頑張って欲しいもの。
そんな発想が業界変革の切欠になるとよいのだが。
(記事) 『ガタスタ屋の矜持 寄らば斬る篇』著者 豊崎由美氏インタビュー 【豊崎由美氏インタビュー】1冊1冊と踊る書評のために──書評というジャンルの現在とこれから 2012年08月13日 00時00分 ソフトバンクビジネス+IT