■■■■■ 2012.8.16 ■■■■■

  昔の樹木に想いをはべらす

南極はかつて、秋は10℃で、夏は25℃に達したかもしれないそうだ。
ゴンドワナ大陸があった頃なら当たり前ではあるが。要するに、5,300万年前のパーム椰子の花粉が見つかったというだけのこと。BBCのNature論文紹介記事。
ご想像がつくと思うが、IPCCがらみの話。最悪予想で考えると21世紀末には、南極が森だったころの炭酸ガス濃度に近づくから、南極の氷はその頃には解け始めるとと考えられるという訳。
面白いと思ったのは、この手の話は、日本の新聞を眺めていると気付かないこと。あれだけ温室効果で大騒ぎしておきながら。

それはともかく、何万年も前の樹木のことが次第にわかってくると、神話の世界が身近なものになってきたりする。勝手にストーリーを作って解釈しているだけでしかないのかも知れぬが。

日本も、大昔は、九州・四国・本州は一つの島だったようで、大陸とは狭い海峡で隔たってはいたものの、寒い時代だから、海が凍っていれば歩いて渡れたと言われている。つまり、日本海はほぼ塩湖だったことになる。おそらく、黒潮は台湾辺りで東に向かっていたのだろうから、モンスーン気候的な季節感はなかったろう。もちろん、東シナ海は陸地だから朝鮮半島という概念は通用しない。
そんな状態だと、日本に照葉樹林などあろう筈もない。もちろん、瀬戸内海も無い訳だから、古事記の国生み以前ということになる。

しかし、日本人の性分を考えると、その当時の樹木の想い出が伝承として残っていないとも限らないのでは。
と言うとお気づきかも。
「高野六木」である。ヒノキ・スギ・モミ・ツガ・アカマツ・コウヤマキ。照葉樹林文化の影などどこにもない。もちろん、有用性から見れば、それぞれ重要な材ばかりだから保護に踏み切ってなんら不思議ではないが、小生は、25.000年前の精神性をひきづっている可能性を感じる。と言うか、こんな木々が存在することこそが、高野山・吉野・熊野辺りの神々しさの大元なのでは。

まず杉だが、全国津々浦々植林された木で、育て易い上に、加工しやすいから選ばれて当たり前と見がちだが、人が手を入れなければほとんど目にすることが無い木とは言えまいか。杉に限らず、現時点で原生林といわれていても、長い時間軸で見れば、実は古代の人工林のなごりの可能性もあるのだ。
そう感じるのは、25.000年前にスギが生えていそうな地域は、現在の地名で言えば、鹿児島南部、四国太平洋側、紀伊半島南部、伊豆半島辺りだから。棺材のコウヤマキも、スギに混じって生えていたらしい。
この一帯、その後、南から渡ってきた海人が育てたに違いないクスの木が目立つ場所でもある。今でも、樹齢千年以上の巨木がそここに残っているが、もっと古くは温暖化の波に乗って、杉を押しのけ、ここら辺りに鬱蒼と茂っていたと思われる。人工林のハシリ。

そうそう、何故、25.000年前にこだわるか、書いておかねばなるまい。・・・それは、鹿児島湾北部の姶良カルデラの大爆発の直後という意味。降り注いだ火山灰と気候の寒冷化により多くの植物が枯れた筈で、それまでの生活が一変した大災害。生き残れた生物はどの程度だったか見当もつかない。もっとも、それだけではない。約7,300年前にも、鬼界アカホヤ火山灰が降った。これもとんでもない悲惨な状況を生み出したに違いないのである。
姶良大爆発の後、沿岸部における命の復活の象徴となったのがスギとコウヤマキで、その後背山地にはモミとツガが混交しながら伸びたようだ。さらに、鬼界大爆発の後の冷涼気候で繁栄することになる。今では、その残りが、山の尾根近くでしか見られない状況だが。
ただ、モミとツガが重視されたのは、下で育つ木々にありそう。祭祀に欠かせない光沢ある小さな広葉が特徴のシキミやサカキはここで生きていたのである。(ナギも広葉樹だが、裸子植物で、ここには該当しそうにない。)

ただ、場違いな感じがするのが、燃料には最良のアカマツ。松竹梅の発想ではなさそうだし。巨木になれば、大型構造材に向くとはいえ、痩せた土壌で日当たりの良い場所に登場する樹木でしかなく、高野山には似つかわしくないのでは。考えられるのは、樹木が枯れはて、広々とした原野になっていたところに生えてきた樹木の力への尊敬の念。

日本文化の底流には、樹木に対する深い思い入れがありそう。

(記事) Palm trees 'grew on Antarctica' By Jason Palmer, BBC News, 1 August 2012
(参考書) 福嶋司・岩瀬徹:「[図説]日本の植生」 朝倉書店 2005年


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