■■■■■ 2012.8.23 ■■■■■

  高尾山の「ブナ」について

先日、高尾山の見所は「ブナ」の存在というお話をしている一団に出くわした。普通はこんな低い高度では存在しないので、実に不思議なんですとか。

確かに、裏山に毛が生えた程度の丘陵地帯だから、「イヌブナ」だけというのが常識的な植生。両者が並存するのは珍しいのは確かだが、驚くようなものではなかろう。
なにせ、この山の特徴は、少量づつ細々と整えた多種類のおかずを揃える幕の内弁当的に作られている点。

ケーブルカーがあるのに、リフトもすぐ横に設置。もちろん、終点まで舗装道路も繋がっている。とは言え、一応山登り風情も味わえるように、尾根道、渓谷道も。もともとは、山信仰の地だった訳だが、なんでもかんでも詰め込み状態。いかにも日本的。
面白いのは、植生も同じなのである。南斜面と北斜面ではガラリと違う。明確ではないが、常緑樹と落葉樹といった感じ。しかも、様々な樹木が混在している。従って、ヒトの手がかなり入っている林と思われるが、経済林としての伐採を許さなかったから、体裁としては自然林そのもの。いかにもゴチャゴチャ様々なモノを持って来てすべて同居させるという日本文化そのもの。
ただ、それを原生林に近いと言う専門家もいるようだ。

もちろん、密教寺院の領域だから、針葉樹の植林は盛んである。参道を始めとして、「スギ」は至るところに。それに加えて、数は少ないが「ヒノキ」もみかける。
ところが、山では余り見慣れない樹木も。落葉広葉樹の「カツラ」。なかなか素敵な見立ての植林である。水源上流域辺りだから、下鴨神社糺の森のイメージと重ねたのかも。もっとも、「カツラ」はこの森には存在せず、葵祭で樹木精霊のシンボルとして枝が使われているにすぎないが。

落葉広葉樹といえば、武蔵の国の代表は「コナラ」だろう。落ち葉は堆肥に、樹木は薪炭にということで広がった樹木。東京でも、残っている箇所もあるが、枯葉処理に手がかかるからそのうち消えていく運命。もちろん、高尾山にも存在する。
ただ、高尾山は丘のような山とはいえ、台地とは違うから、より冷涼な環境に向く「イヌブナ」が多い。しかし、上述したように、低山だから、常識からすれば「ブナ」は存在しない筈。
そのため、これは不思議と語る人も出てくいる訳だ。だが、その理由はよく知られている話。
ブナはそれなりの長寿命樹。生えた頃を考えればよいだけのこと。江戸の大飢饉が発生した頃の気候に適していたのは「ブナ」だったというにすぎない。そこで群生した訳。当然ながら、その後は衰退一途の筈。今や、その老樹林の地に見物人を呼び込もうとしているのだから、その流れは加速するだろう。
ともあれ、林道まで作ったのに、「ブナ」林が切られずに済んだのは奇跡的。と言うか、様々な樹木が並存できてこその高尾山と考える人がいたということでは。それは高尾信仰の底流なのかも。


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