■■■■■ 2012.10.8 ■■■■■

  科学技術系雑誌を電子化させたくない人だらけ

絶版になっている自著作を、「たとえ10人の人が読むのでもいいですから どこでも誰でも わずかな経費で読めるようになって欲しいと 思ってしまいます。」・・・分生・生化界の重鎮の方の発言。かれこれ2年以上も前のこと。
もちろん、その後、さっぱり進展なし。これぞまししく日本らしさそのもの。
本来なら、科学分野で活動する人にとっては、本や雑誌を沢山抱えざるを得ないから電子書籍化に一番乗り気になるものだが、日本は真逆なのが実に面白い。

上記の発言のきっかけは、2010年1月号をもって、日本語の総説誌「蛋白質 核酸 酵素」(共立出版)が消えたこと。実は、その一寸前にも、「ゲノム医学」(メディカルレビュー社 2009年10月号)が無くなったのだが。

学者なら、皆、こんな流れを残念がると思いがちだが、おそらく、それは大間違い。包括的なレビューやポイントをついたエッセイを書く学者はどちらかと言えば例外的存在。そのような著作を毛嫌いする人の方が多いのである。学生が商業学術誌で幅広い知識を得るような流れを快く思わない学者だらけといってよいだろう。
その理由は単純。下手をすれば自分の権威が揺らぎかねないし、学生が自分に与えられた研究テーマに疑問を感じたりして、他の研究分野に転向しかねないからである。もっとも、それだけの能力がある学生は僅からしいが。ともあれ、優秀な研究者が自由自在に動き始める切欠になりかねない動きは不快ということ。
従って、学生も、処世術上、できる限り一般雑誌的風合いの商業学術誌は手にしない。
これが日本の科学界の現実では。

もっとも、産業界に比較的近い、工学分野では、そんな状況を早くに脱している筈。しかし、論文誌の電子化に率先して踏み切っているとは言い難い状況。電気学会論文誌(オーム出版)や日本機械学会論文集(丸善出版)が消えたのは、2011年3月号、2011年12月号とつい最近の話。
出世のポイントにならない印刷物としての日本語学内誌(紀要)も未だに健在。(英語の場合は、書き込み余地がないと、自分の領域から離れると、なかなか読みにくく、わからないでもないが。)外部の目には、大学同士互いに無料で配りあって、嬉しがっているとしか映らない。どうしても公表したいのなら、何故、電子化で済ませないのか理解に苦しむ。
医学界の雄、慶応医学部は出版を止めたようだが、そのお金を他に回そうというのはまさに正論。

まあ、それぞれ様々な事情を抱えていて、電子化に当たっての障害が違うから、そう簡単ではないというかも知れぬ。

例えば、医学の場合、雑誌は驚くほど多い。素人が眺めた感じからすると、失礼ながら、乱立している女性誌業界と似たところがある。広告料収入で成り立っているモノも少なくなさそうだからだ。ページビューで広告料という手の宣伝とは、意味が違うから、電子化は結構難しそうな感じがする。
その多さ感覚がよくわからないかも知れぬので、数字を引いておこうか。・・・医学中央雑誌刊行会が集めている学会誌・紀要・研究報告等が約2,900誌。改題や休刊・廃刊した雑誌を含めると約5,300誌にのぼる。実際は、それほどのこともないのだが、他の分野に比べれば桁違いに多いのは間違いない。ナンデモ屋を自称するプロではこまるから、細かな分野毎に、雑誌があってしかるべきではあるが、これが悩ましいところ。
それに、気軽に買えそうもない価格が多いから、一雑誌当たりの想定読者数はかなり小さかろう。これで広告が減ったりすれば、出版は成り立たなくなりかねまい。部外者から見れば、そんなことを続けていてよいのか大いに気になる。
小生は全くの部外者だが、永井書店の分野毎の雑誌には結構お世話になったことがある。ところが、それが次々と消えていく状況。もちろんそれだけではない。・・「総合臨床」(永井書店 2011年12月号)、「EB NURSING」(中山書店 2011年10月号)、「治療学」(ライフサイエンス出版 2010年12月号)、「看護学雑誌」(医学書院 2010年12月号)、「がん治療最前線」(八峰出版 2010年8月号)。
こう並べてみると、オッ、これで大丈夫かな、という気がしてくる。

人文系はもっと凄い。「国文学」(学燈社 2009年7月号)、「国文学 解釈と鑑賞」(至文堂/ぎゅうせい 2011年10月号)が消えたからだ。小生は読まないが、大きな書店の定番品だったのではなかろうか。国文への興味が下火になっているせいもあろうが、いくら読者が少数だからと言っても、この世界に興味を覚えた人が手に取りそうな雑誌を止めるのだから恐れ入る。そこまで蛸壺化してしまった分野と言えるのかも。
ただ、こんな流れのなかで、なんとかしようと考える出版社もあるのが救い。笠間書院のブログは立派である。部外者でも、この分野でなにがどうなっているのか、なんとなくわかるからである。
2009年3月号で終わった筈の研究社「英語青年」も、「web英語青年」に模様替えされ、それなりの存在感を生み出していそう。この分野では、この雑誌が核であり、なくなれば分野の存立基盤を失うとの話を耳にしたことがあるが、その声に出版社が応えたのだろうか。
そう言えば、自分達の雑誌の役目は終わったとあっさり廃刊を決めた社主(マドラ出版)もいた。2008年の春のことである。

それからそろそろ5年も経つが、科学技術系雑誌を眺める限り、その頃とほとんど変わっていない。そりゃそうだろう。
数冊の厚い書籍に、束になったコピー。それに加えて電車で読むためのiPadに、パソコン。これらでパンパンに膨れた重量級の鞄を持ち歩くことが嬉しい人達だらけなのだから。

(ブログ) 「タンパク質核酸酵素の休刊  早く来ないか電子書籍時代」 2010年06月27日 生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ
(記事) 「マスメディア広告万能の時代は終わった」・休刊する「広告批評」の天野祐吉氏 2008/5/19 7:00 日本経済新聞


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