「馬鈴薯」は、江戸時代の本草学者 小野蘭山(1729-1810年)の命名とされている。中国の文献紹介学者ではなく、フィールド・ワークを重んじた先駆的研究者である。そんな人が何故?
と思うのは、義務教育では、1600年頃、阿蘭陀人がジャガタラ(ジャカルタ)から持ち込んだと習うから。平戸辺りで栽培した訳である。それを知れば、ジャガ芋と命名された理由に納得してしまい何の疑問も浮かばない。ただ、長崎のように、オランダ芋と呼んでもよかったのかな、などと考える人はいるかも知れぬが。
しかし、蘭山の話は、それより200年も後のこと。唐突に、学者が新たな命名を提案したことになる。しかも、「馬鈴薯」は現在でも通用する名称だ。いくら高名な学者だったとしても、すでに定着している「ジャガタラ芋」という名称の代替名が急激に進んだことになる。常識的には異常と言わざるをえまい。
考えられることは、蘭山が、ジャガ芋という名称はこまると指摘したこと位。もしそうだとすれば、中国本にジャワ以外からの渡来作物と記載されていた可能性が高い。日本の学問の後進性が明らかになるのはこまるぜといったところ。世界の先端を歩んでいるとの自負があったのだと思われる。
そこで、美しく飾った馬の鈴イメージが浮かぶ名称を提案したのだろう。当然のことながら、中国の古い文献に似た名前を見つけ、コレだということ。
もっとも、この「馬鈴薯」だが、若い人達はまったくご存知ない言葉になっているらしい。かつては、ジャガ芋は俗称という感じだったが、現在は「ジャガイモ」が正式なものと受けとられているようだ。
ただ、一寸前までは、両者ともにどこでも使われているというものではなかったようである。日本の地名で呼ぶばれていたらしい。産地名ではなくもともとの種芋の調達先ということなのだろうか。
・岩手・・・・敦賀芋
・福島・・・・九州芋
・埼玉・・・・信州芋
・東海・・・・甲州芋
・岐阜・・・・仙台芋(人名の可能性も)
・新潟・・・・四国芋
・福井・・・・北海道芋
・滋賀・・・・越後芋、善光寺芋
・奈良・・・・日向芋
・兵庫・・・・四国芋、伊勢芋
・鳥取・・・・北海道芋、備後
・徳島・・・・ゴーシュー
・愛媛・・・・関東芋
・熊本・・・・琉球芋
今の状況しか知らないと、この多様さには驚かされる。現時点のジャガイモのイメージはもっぱら北海道だからだ。そうなった切欠は、1908年に土佐出身の川田男爵(1856-1951年)が英国から持ち込んだ「男爵イモ」の大ヒット。生産性が高いだけでなく、食感が関東の大消費地で受けたからと思われる。それ以前は、上記のバラバラな名称を見ても想像がつくが、ジャガイモはマイナーな芋でしかなかった可能性が高い。
さて、その北海道だが、「男爵イモ」といった品種名ではなく、一般名としてはどう呼ばれたか。これが面白い。
もちろんジャガイモではない。「ゴショイモ」。一般的には、夏と秋の二回収穫が可能であり、病気さえ防御でれば、畑作農家にとってはこれ以上嬉しい多収量の作物はなかろう。北海道では、「5升」も取れて、これは凄い芋だゼという訳だ。
いかにも生産者らしき命名。もちろん、この手の発想は北海道に限らない。
・五升芋・・・北海道
・二度芋・・・東北、新潟、近畿、西日本の山地
・三度芋・・・群馬、埼玉、中国・四国の山地
・五度芋・・・東北日本海岸
夏芋とか、秋芋という呼び方もアリだ。
こうして眺めてみると、作物としては、たいして人気がなかった時代が長かったと見てよさそう。
しかしながら、その名前のジャガタラだけは人々の脳裏から消え去ることはなかったのである。と言うか、決してバタヴィア芋とはしたくなかったということでわかるように、特別な想いが籠められていたのである。
ジャガタラこそ、悲しい鎖国物語の象徴的地名ということ。そうでなければ、いつまでも「ジャガタラお春(1625-1697年)」の話が残る訳があるまい。海外に取り残されてしまった同胞のお蔭で、西洋文化に触れることができごた恩を決して忘れませんよということ。
(ご注意) シナリオなどいくらでも作れるという見本。こんな話がまともな本に書かれている訳はない。
(本) 佐藤亮一 監修:「お国ことばを知る 方言の地図帳」(「方言の読本」増補改定版) 小学館 2002年
(当サイト過去記載) 馬鈴薯 [2008.5.20/2009.9.29]