■■■■■ 2013.1.1 ■■■■■

  縄文と弥生の境は自明

土器がどのように変遷したか、現物を自分の目で何回か眺めていると、縄文土器が何者か、なんとなくわかった気になってくるもの。百聞は一見にしかずとはよくいったもの。そうは言うものの、その直観が当たっているか否かはなんともいえぬが。

はっきり言えば、古代の鍋であるということ。
土鍋が鉄鍋に変わったとか、アルマイトがステンレスへと材質変更されたことに、とてつもない歴史の重みを感じる人もいるかも知れぬが、普通はそれほど重視しないもの。ましてや、ステンレス製の鍋の工業デザイン史を紐解いて、時代の流れを分析しようと考える人は極く稀だろう。
ところが、こと土器になると話が別となる。それこそ、微に入り、細に入り、検討が進んでいる模様。一般人には縁遠そうな発想の仕事と言わざるを得まい。まあ、土器以外は余りに断片的な情報しか無いから、日本列島全域で編年体で出土品を整理するには、土器以外にはあり得そうにないから、致し方ないが。ということで、部外者からしてみれば、早く、全体を見渡すような話をしてくれないものかと待ちわびている訳である。

素人には理解が難しい細かな時代区では無く、以下のような視点で、ざっくりとした切れ目がわかるようにしてくれるだけでも有難いのだが。
 ・形状模造(非容器)→容器(土器の時代の始まり)
 ・貯蔵用→加熱用
 ・尖底大壷→平底大壷
 ・単純形態→メッセージ性デザイン
 ・焚き火加熱→竈対応土器
 ・共用大型→バラエティ化
 ・メッセージ性→機能性

上記はざっとあげてみただけだが、このなかには時代を画す大変化がいくつかある。もちろん、一番重要なのは、加熱用鍋の登場。調理技術で人間の生活が大きく変わったからだ。ただ、これは余りに古い話。小生は2万年前ではと勝手に想像している。(考古学的な証拠からいえば、1万年強とするのが妥当と思われるが。)それ以外に2つある。社会が大きく変わったために、土器も変わったと見なせるのではなかろうか、という点での話。
1つは、メッセージ性の登場。もう1つは、それが消えて機能性重視に変わるという変化。
前者とは、火焔土器のようなデザインを指すし、後者は、弥生式のこと。

日本列島の立ち居地を考えれば、それらが何を意味しているかは、小生は自明ではないかと思うのだが。どういうことか、ご説明しておこう。

火焔土器はトンデモない造形物に見えるが、表現技法としては単純でなんら複雑なものではない。普段使う鍋であろうが、祭祀用容器だろうがこのような形態にしたのは、明らかに部族の自己主張である。どうしてそれが必要となったかだが、それは汎用言語が必要になってきたからでは。おそらく、大陸の言葉。それも中国語。
交易には不可欠であり、為政者はマスターせざるを得ないだけの話。しかし、全く通じない言葉を同居させながら、部族の一体感を維持させるには、アイデンティティはどうしても欲しい。無文字社会であるから、なんとしても誰でもわかるシンボルを持ちたくなる。その結果生まれたのが火焔土器のような目立つ土鍋。部族の宗教性をも示すものだったに違いないのである。いわば、現代における宴席に飾る国旗や皿のエンブレムのようなもの。文字ではないが、文字無し生活を好む人々にとっては文字と同類と見なしていた筈。渡来の文字同様に、呪術的な意味が篭もっていると見なされていた訳である。

このアナロジーで考えれば、縄文式土器が弥生式土器に代替された理由は自明。
その時期も常識を働かせれば、すぐにわかる。紀元前200年頃である。・・・中国で、春秋・戦国時代の群雄割拠が終わりを告げ、秦の始皇帝が登場し、僅か9年で、戦国七雄(韓・趙・魏・楚・燕・斉)を消滅させ、中国統一が成し遂げられた、まさにその時。正確には紀元前221年である。
日本列島はその嵐と無縁という訳にはいくまい。始皇帝の「標準」中国語の波に襲われた訳である。おそらく、繁栄している部族の為政者はすでにバイリンガル化していた筈である。日本列島はまだ統一には程遠い頃だから、部族同士の会話は、互いの土着語より、中国語が通用していた可能性が高い。その中国語が大陸で統一されることになれば、その衝撃は凄まじいものがあろう。現代のグローバル化における英語浸透とは比較にならない。なにせ、日本列島は無文字社会。しかも、文字に呪術性を感じていた社会なのだから。始皇帝はその文字を、単なるコミュニケーションの道具にさせた上、強制的に統一したのだから、突然の宗教改革が発生したようなもの。
こうなると、土器の宗教的メッセージ性によって、部族アイデンティティを保っていた日本列島の部族は一挙に変身を迫られる。この流れにあわせないなら、先端文化が入ってこなくなるからだ。縄文式土器を廃止し、シンプルかつ機能的な道具へと急いで変えていくしかなかろう。その代わり、新しい文化をいくらでも取り入れることができるようになった訳である。

もちろん、朝鮮半島とベトナムも大激動に見舞われた訳で、どちらもこれ以後は中国語に席巻されることになる。唐末代まで、上層階級の言葉は基本的に中国語だったのは間違いあるまい。従って、日本と違って、この間に、自ら記した文献はなにも残っていない。中国史の一部でしか辿れないのである。日本のように漢字を自分達の文字として使おうとはしなかったから、支配層言語と大衆言語が切り離されてしまい、独自文化は壊滅してしまったのである。
***朝鮮半島***
  燕(1100-222 B.C.)
   +
  箕子朝鮮(?-194 B.C.)
   [殷王朝氏族の王朝]
   ↓
  遼東郡
   +
  衛滿朝鮮(195-108 B.C.)[植民地]
   [燕出身中国人の衛氏王朝]
***ベトナム***
  蜀朝(257-207 B.C.)
   [蜀の氏族王朝]
   ↓
  南海郡(秦)[広州]
   ↓
  南越国(203-111 B.C.)[首都:広州市]
   [南海郡(秦)の軍事長官]


(本) 小林達雄 編:「縄文土器を読む」アム・プロモーション 2012年11月


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