偏差値からいえば最上層の大卒の方々、そのなかでも優秀そうな若手が集まっていれば、普通は、切れ者もいると考えがち。だが、どうかナ。
そんな疑問を感じたのは、実につまらぬことから。
そんな方々に、「因幡の白兎の話にワニが出てくるから、大昔は日本にも鰐がいたかも」といった、どうでもよい話をした。すると、たちどころに、それは鮫ということになっているんですよと、懇切丁寧に教えてくれたのである。
どうも、本気でそう信じているらしい。正直、これには驚いた。
素人の常識で考えれば、ワニがサメになる筈はないからだ。自分の頭で考える習慣が無いので、そんなこともわからないのである。
○ サメが、一列に並んで停まっていられるものかネ?
・・・動いていないと即窒息。(鰓呼吸できない。)
○ サメの丸い背中の上を、兎が飛び跳ねることができるかネ?
・・・丸太乗りの芸当より困難。(形状からして跨るもの。)
○ サメが集まると、飛び石に見えるかネ?
・・・三角の背鰭だけ突出。(海面の障害物競走に近い。)
○ 上陸しつつある兎を、サメはどうやって捕まえたのかネ?
・・・サメは陸に乗り上げれば自殺行為。(戻れない。)
古代人の知恵の結晶を、ご都合主義的に解釈すべきではない。これほど違う生き物を、どうして同じように呼ぶ必要があるか、説明できないのなら、因幡の白兎のワニをサメと見なすことは止めるべきである。当たり前の話。
古代人の方が、現代人より、生き物の観察は鋭い。鮫[さめ]、鱶[ふか]といった漢字を見るだけでもわかる筈。にもかかわらず、性情が全くそぐわないサメがお話に登場するとの説は無理がありすぎる。
とはいえ、ワニをサメとした可能性が無いとは言えない。出雲方言だけではあるが、確かに、サメをワニと呼称するのだから。
その場合、どう考えるべきかは自明。
出雲に南から移ってきた人達のリーダー、大国主命の出身地のアイデンティティが「鰐」だったというにすぎまい。それを出雲に残すためには、出雲にワニがいない以上、元の伝説をアレンジするしかなかろう。ワニに一番似ている生き物であるサメをワニと呼ぶことになる。たとえ、「沙魚[サメ]」と呼ばれていても、それは「和爾[ワニ]」でもあるとされるだけのこと。もし、そう解釈するとなると、古事記全体の読み方も変える必要があろう。
ちなみに、よく知られていることだが、金刀比羅宮の名称は梵語kumbhiraことガンジス河の鰐が守護神化した名称で、十二神将の宮毘羅大将を指す。アジアで、鰐は古代のトーテムであったのは間違いない。古事記の豊玉姫が鰐の化身というのは、だからこそ納得のいく話だが、これが鮫になる訳かな。
(当サイト過去記載) 和邇は鰐で鮫ではない [2006.3.27]