近鉄奈良駅や新大宮駅周辺には数千羽のムクドリがねぐらを求めてやってくるのだそうである。電線や街路樹に止まって鳴くため、ほとんど騒音状態。都会のマンションなら、テラス窓は密閉構造で、他は二重窓にすべきだと思うが、そのような建築は進んでいない。当然ながら、場所が悪いと、鳥の鳴き声で夜も眠れない状態になる家がでておかしくない。
もちろん、苦情はそれだけではなかろう。糞や羽がそこらじゅうにバラ撒かれる訳だから。そんなものを毎日掃除させられるのはたまらんという訳である。当たり前の話だが、道にゴミが落ちていないのは、行政の清掃のお陰ではなく、住民が行っているから。汚い都会とは、それができない地域であることを意味しているだけのこと。
従って、掃除が大変な街路樹は嫌われる。それが都会の現実。
まあ、一番の問題は、「自然保護」をスローガンにした、無責任な野鳥保護運動が繰り広げられている点ではないか。こういう問題が発生することなど端からわかっていたことだからだ。特に、ムク鳥など、「椋」という漢字を見れば、どんな体質かわかりきったこと。
確かに、住民の苦情に応えて、自治体が街路樹をバッサリと切ったのを見れば誰だって驚く。幹だけが3mだけ直立する街路は異様だからだ。(そういう樹木手入れの仕方もあるから、必ずしも、異常手段とは言えないが。)。
記者氏は、鳥の大群ではなく、この措置を「不気味」と評価しており、そういう見方もできよう。
だが、こんな問題は奈良だけではなく、至るところで耳にする話。鳥を間引くなどもってのほかということになっている以上、行政にまともな対応ができる訳がないのである。なにもしない訳にいかなくなれば、木々伐採が最善の策だろう。それだけのこと。
おそらく、素人が色々と駆除策を提案し続けた筈。でも、たいていは有効性が疑問なものだらけでどうにもならないのが普通。よくあるのは移動作戦だが、相手は鳥であり一過性でしかない。居場所をさらに増えすだけで終わるのだが、当事者は決してそう考えないし、下手にそんなことを指摘すると烈火のごとく怒り出したりするから、たいていは受け流す。まさ、せいぜいのところ、毎日夜になったら、追いはらう位しかできないのである。
そして行政に支援させ、ヒトモノカネを浪費させる運動へと発展していうのが普通。それ以外に対処の道はないからだ。
増えすぎたら、獲るしかないのだが、そんな当たり前のことができないのである。環境保護などドグマに染まった運動以外のなにものでもない。一種が増えれば、他の種は自ずと生きる場所を失うのであり、それを適宜コントロールするしかないのである。
昔、有名だったのは海鵜の被害。ただならない量の糞が落とされるため、海岸縁の木々が次々と枯れてしまったのである。しかし、それを黙って見ているしかできないのである。やれることと言えば、鵜の皆様にどうか糞をしないで下さいと頼むだけ。
それが、現代の野鳥の保護運動の実像である。反科学的な自然信仰に根ざしているから、この状況を変えることはえらく難しい。
(ニュース) 街路樹ばっさり「不気味」 奈良市、ムクドリ対策が不評 2013年2月24日17時26分 朝日新聞デジタル
(当サイト過去記載) 武蔵野に住む鳥に愛された木 (20121020)