余りに悲惨なニュース。
「子供にもっといいものを食べさせたかった」という趣旨のメモを残して、生活に困窮した母子がマンション内で餓死。電気・ガス無しだった模様。2月に死亡し発見は5月24日と、恐るべき無関心社会。
うーむ。やはり大阪市だったか。
とんでもなく不条理なのは、作り話だけと思ったいたが、そうではなく、現実の生活そのもの。思わず、この地の世界遺産となった文楽を思い出してしまった。
ドナルド・キーンさんの話によれば、文楽は難波の文化という訳ではなさそうだが、トンデモ社会を愛好する人々が多いという点では、大阪らしい芸能と言えそうである。
文楽は余り一般的なものではないようだから、浄瑠璃を愛するキーンさんの見方をご紹介しておこう。
文楽が大阪と結びつけて考えられるようになったのは
十七世紀の後半からのことである。
これは多くの研究者によって、
江戸の勇み肌や
京都の洗練に対する
大阪の人間の商魂が然らしめたことという風に
説明されているが、
人形芝居のどういうところが商人を喜ばせるのか
はっきりさせることは困難であって、
それよりも、
文楽が他所では衰えてからも
大阪で人気を失わずにいたのを
歴史上の偶然によることと見る方が妥当と思われる。
つまり、浪速の文楽ということではなく、1956年の江戸の大火という大惨事で、江戸にいた文楽関係者が一斉に大阪に引き上げた結果であり、たまたま、当時の大阪富裕層にはその文化を支える財力があったためそのまま続いたということ。
しかし、おそらく、それだけではなかろう。
日常生活に奇想天外と言わざるを得ないストーリーを持ち込むことに大喜びする体質が濃厚な土地柄ということが大いに影響してはいまいか。
トンデモない実生活を送る芸人を囃すという点で、類稀な土地柄でもあるし。
文楽はストーリーをある程度わかっていないと、言葉がわからないので、なにがなにやらになってしまう。そこで簡単に予習することになるが、そうするとその内容に仰天させられる。余りに不条理な筋立てばかりだからだ。人形なので、それがさらに強調される。
ソリャ、これを大衆演劇にでもしたら、猟奇的作品や無法バイオレンス物のオンパレードでハチャメチャになりかねまい。高踏的な芸になって当たり前では。
○別れた両親を探す一人旅の幼女。
もちろん野宿で、怖い事や悲しい事だらけ。
偶然、実の母に会うがそうとは気付かず。
親への愛をせつせつと語るのみ。
そうこうするうち、父親に遭遇。
それもわからず、父親に惨殺される。
○手代と遊女が恋仲に。一緒になろうと誓う。
手代は親類である主が設定した祝言を破棄。
継母受領の持参金返金を迫られどうにか対処。
ところが、友人にその金を簡単に騙し取られる。
その上、大衆の面前で暴行を受ける。
遊女は、その友人が語る悪口を手代に盗み聞きさせる。
このたった一日の出来事で、遊女と手代は心中に踏み切る。
○大店の放蕩息子が遊女を巡って大喧嘩。
同業者の妻に助けられる。
帰宅して、店から金を騙しとろうとして勘当される。
金欠でどうにもならなくなる。
助けてもらった同業者の妻に金の無心。
当然ながら、断られる。
そこで、惨殺して、金を奪って逃走。
(参考記事)
大阪で母子が餓死か 「いいもの食べさせたかった」 2013/5/27 21:25 日経
大阪あそ歩 〜街の達人たち〜 世界遺産の文楽と日本一の黒門市場 2013年5月10日 大阪日日新聞
キーンさん養子縁組 浄瑠璃三味線奏者 上原誠己さんと 2013年5月1日 東京新聞 朝刊
(本)
ドナルド・キーン(吉田健一,松宮史朗 訳):「能・文楽・歌舞伎」講談社学術文庫 [英文"文楽"原本 1965年]