■■■■■ 2013.6.12 ■■■■■

  活躍したい人を対象とした大学教育にして欲しい

学習塾のインターネットによるアンケート調査(母集団1,000人)結果はなかなか面白い。

 「将来、グローバルに活躍したい」・・・大学生 3割、高校生 4割
 「今からグローバル化のための教育を受けても自分は間に合わない」・・・大学生 55%、高校生 50%
 「我が子は手遅れ」・・・保護者 24%

記者は特に意見を述べていないが、調査回答から見て、内向き志向や語学力への自信のなさがこの数字になったと伝えたいのだと思われる。
小生の実感からすると、ソリャ違うなという感じ。そんな時代は過去の話だと思う。もっとも、思い込みは暫く続くから、そう言い切る訳にもいかぬが。
高校生での飛躍したい人の割合が高すぎる感じがするが、ともあれ、調査するなら、男女別にしないと駄目である。ここをゴチャ混ぜにしたものは参考になるまい。

全くの想像でしかないが、男性大学生なら「活躍したい」はせいぜい2割がいいとこでは。
それは「グローバル」であろうがなかろうが、関係無い。今の時代、活躍するにはグローバルでないと無理だと考える人は「将来、グローバルに活躍したい」となるが、国内で素晴らしいことができると見ている人は、「将来、グローバルに活躍したい」にどう答えるかはなんとも。別に、内向きな訳でなく、国内でトップに上り詰めればグローバルでも当たり前にトップになると見ている人はYes.かNo.か迷うと思うから。
まあ、この数字が2割だろうが、3割だろうが、どうでもよい。重要なのは、今の時代、少数派の「活躍したい」層と、「どうでもよい」層は水と油状態で別れている点。前者の割合を増やそうと考えたところで、どうにもなるまい。なにせ、それこそが、成熟しきって安定した社会の特徴なのだから。

この2つの層の違いで重要なのは、前者には多様性があるという点。活躍の場を自分で見つけようとすれば、そうならざるを得ないというにすぎない。従って、この層の能力を高めるための一律仕様の教育は極めて難しい。語学など典型で、旅行会話や雑談の仕方から勉強したいと思う、分子生物学者志望やファンドマネジャーの道を歩む人がいる訳がなかろう。
一方、後者の「どうでもよい」層は体質が全く違う。群れることしか頭にないからだ。皆の真似をしていれば、必ず蜜を舐めることができると信じている人達と言い換えてもよい。ただ、それを怠け者と見たら大間違い。全く逆。その集団のなかで、いかに小さな差を示すかに全力を尽くすことになるからだ。一歩先にとび出ないように注意を払いながら、隣よりは前にいられるように日々一所懸命考える生活になる。熾烈な競争社会であるが、それが喜びでもある。言うまでもなく、塾や会話学校の経営は、こうした層で成り立っている訳である。

ほとんどの日本企業は、後者に依拠して力を発揮してきた。ただ、大企業は終身雇用なので前者も紛れ込んでいた。そして、本来は違う層にもかかわらず、一体化した集団として動くため、前者の力が発揮できるようになっていたのである。中小企業は、そうはいかないから、前者に賭けて飛躍を狙い大企業に上り詰めた企業も少なくないのはご存知の通り。
何を言いたいかおわかりだろうか。
「活躍したい」大学生の数を増やそうなどという施策は時代からズレている。群れると得をすると考えている大学生に、口だけ「活躍したい」と言わせても、何の意味もなかろう。
今や、世界を眺めれば、「活躍したい」人口は飛躍的に伸びている。活躍に不可欠ということで、一般なスキルを「皆で」高めたところで、勝負になるまい。
重要なのは、「活躍したい」層を強化するのに最適なカリキュラムを提供することだと思う。

エリート養成大学なら、有名人のコネ提供ではなく、脱分析思考やガツンと一撃的な教育が不可欠だろう。飛躍するような人材を輩出させようと、学者が誠心誠意頑張ったところで、無駄骨だからだ。教わる学生は「活躍したい」と口にはするが、それは、ギルド社会の一員に入り込む処世術でしかない。上層らしき世界で群れたいだけのこと。偏差値の小さな差の競争に明け暮れてきた人達だから、本人はそう思っていないが、実態を見ればそれ以外に考えられない。「活躍したい」層は極めて薄い。この層を大事にする教育に改めて欲しいもの。

偏差値が低い学生だらけで、人員もなかなか集まらないと悩む大学も少なくないようだが、こちらも方向転換を急ぐべきだろう。マスコミ人気者を呼んだり、専門学校と張り合って流行分野の講義を設定するのも、経営的には致し方ないところはあるが、やり方は他にもあろう。「活躍したい」を核にするやり方ができない訳でもなかろう。水と油の、群れたい学生達も、必死に生きる「異端者」を眺めること自体は嫌いではないからだ。
例えば、"本格的"に「鮨」文化を追求する学科を作ったってよいのである。職人も必要だが、発酵食研究者、文化人類学者、エスニックのマーケティング専門家がいなくては、まともな学問にはなるまい。大学卒が寿司屋のカウンターに立つ時代であり、それこそが成熟社会そのもの。
言うまでもないが、「飛躍したい」層なら、街の寿司屋の親爺だと思っていたら、いつのまにか世界冠たる外食チェーンの会長になっていたり、冷凍鮨の巨大多国籍企業誕生の切欠を作った人として有名人になる可能性もあるということ。

(記事) グローバル人材「無理」…高校・大学生の半数超 2013年6月9日09時48分 読売新聞


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