ひとつの時代が終わった感 「藤圭子さん高層マンションから転落死」とのニュースが流れた。享年62。 遺書無しで、最近は消息も不明だったらしく、背景はさっぱりわからぬ。もっとも、マスコミは揃ってほぼ断定的に自殺との報道だが。 「夢は夜ひらく」が至る処で流されていた時代を知る人は、さぞビックリしたことだろう。もっとも、そんなことを全く知らない年代の方でも、宇多田ヒカルさんの母ということで有名だそうだから、どうしてなのという感じか。 小生は演歌のことはよく知らないが、苦労を重ね重ねて成功したという、身の上話を背負っていないと一流とされない世界だったのでは。 その頂点ともいうべき歌手が逝ってしまったことは、ことのほか大きい感じがする。涙々で耐えて生きるしか、チャンスをつかむ道がなかった時代がようやくにして終わったということ。 ・父浪曲歌手、母三味線瞽女 ・旅回り貧困生活の北海道育ち ・生活を支えるため高校進学断念 それは、演歌だけではない。 その昔、社会党党首もそういう方々だった。与野党対立は激しかったが、与党側も一目置かざるを得ない人だった訳である。 1955-1960年党首(委員長) 鈴木茂三郎 蒲郡市の零落した代官の家(極貧生活) 苦学し早稲田大学卒業 反軍運動家となり弾圧対象に 1965-1967年党首 佐々木更三 宮城県本吉郡の農民の子 11歳まで戸籍未登載 小学校教育無し 炭焼き等の重労働 仙台市で、製糸工場の臨時人夫 東京で、日本大学を卒業 言うまでもないが、与党にも苦労人は少なからず存在したのである。 しかし、日本も、そんな極貧層は例外的存在と見なせる状態になった。従って、貧困生活のなかから苦労して上りつめてきた方々が尊敬される時代は終わったと言えよう。 にもかかわらず、そのノスタルジーに依拠したい人達は少なくない。「弱きものの生活を護れ」という言葉を未だにレトリック的に使えるからである。名目上は、その側面も感じさせる主張だが、その実態は、特定の中産階級の権益拡大を狙ったもの。それが、社会にとってプラスになるなら悪くはないが、たいていは逆。 そんなことはすぐにわかってしまうと思うが、鈍感なのだろうか。ともあれ、このレトリックがそれなりに通用すると見ているようで、その宣伝に都合のよさそうな人を起用して票を集めようとする。そんな勢力がジリ貧になって当たり前。 そんな路線を驀進させた方々とはこんなところか。・・・ 1961-1965年党首 河上丈太郎 父が古材木商 東京育ち 一高帝大 中学は立教 父と同しくクリスチャン 弁護士資格取得 1986-1991/1996-2002年党首 土井たか子 神戸市の開業医6人家族 第3神戸高女から京都女子大 さらに京大から同志社大大学院 憲法学者 2003-2013年党首 福島瑞穂 東大法 弁護士 まあ、狭い分野のプロフェッショナルであり、世間相場からみれば、その生活実態は自由業ではなく、高給サラリーマン的なものでは。ただ、サラリーマン以上に狭い社会での生活となるから、社会実態の理解は取り巻きから聞かされる「絵姿」以上ではなかろう。まともなシンクタンクが無い状況で、リーダーとして君臨されたら危険極まりないと言えよう。 こういう方々には、国家財政や外交に無縁で、実質1割自治の、地方自治体の首長の座を是非とも狙って欲しいもの。バラ撒き地方政治屋集団に一矢を放つ意味はありそうだから。政治的柔軟性に欠けるから、その地域はえらい目に合うとはいえ、それは自業自得。首長の思想がどうあれ、地方経済は勝手に回る。見る目が無いから、滅多なことでは改革には繋がらぬが、それはそれで結構ではと思うがどんなものか。 そうそう、「(護憲などを軸に)1つの政党になって新しいものが生まれてくることはあっていい。社民党はこのまま行っても先がない」という元党首発言が報道されたのには驚かされた。泡沫政党の行く末など、どうでもよい話としか思えないからだ。ジャーナリズムも狭い分野の高給専門職サラリーマンで溢れているから、まあ同業者のよしみということか。 もっとも、この元党首は前世代型苦労人である。 1993-1996年党首 村山富市 大分市の漁師 11人兄弟の6男 高等小学校卒業後、東京で機械工/印刷工 夜学生活(東京市立商業学校) 明治大学入学後学徒動員 (記事) 村山元首相、野党再編へ社民党解消も視野 2013/8/19 0:47 日経 (C) 2013 RandDManagement.com HOME INDEX |