表紙
目次

■■■■■ 2014.8.3 ■■■■■


セルジオ越後さんインタビュー記事を読んで

ニッケイ新聞の記事を読んだ。

日経ではなく、サンパウロの日本語日刊紙。
日本がどう見えているかを常に意識し」 「日本への深い愛情を込めた視線を忘れず、情報を発信」しているとの由。

と言っても、ブラジル現地の話題ではなく、サッカー評論家・セルジオ越後さんとのインタビュー。

越後さんの「W杯で観戦者やマスコミが現地の外国文化に触れれば、様々な違いがあると気付くきっかけになり得る」という心情を上手にまとめてくれた秀逸な記事である。

日本流に言えば、滅多に掲載されることがない辛口批評だが、「僕はブラジル人だからどう批評しても許される。」ということ。
インタビューアーの小倉記者も、その言葉に納得できたそうだ。しかし、それは「日本人同士では許されない」ということでもあり、考えさせられたそうな。

そう感じるジャーナリストは珍しいのではなかろうか。そういう方に是非とも頑張って欲しいもの。

この記事が気になる方はお読みになるのが一番だが、その内容はタイトルが示す通り。
 プロスポーツの体なしてない
 学校による選手育成の限界
 アイドル作ったマスコミ

まあ、昔から日本社会の特徴と言われている、甘えの構造と蛸壺型組織がここにも表れているといえなくもないが、そんな指摘をしたところでなにも変わるまい。
能力ある、クールな選手が登場してこないと無理ということだろう。
要するに、「勝利を目指し、全員が一丸となり、団結して取り組もう」 という手のスローガン大好き人間ばかりで、どうにもならないということ。

小生のように、サッカーをよく知らない人間が見ても、日本チームの動きはボール回しばかりでちっとも面白くなかった。世界の強豪と、余りに体質が違うのである。シュート狙いができそうか、鵜の目鷹の目で、可能性がありそうならすかさず動くチームだらけだったから、目立つのである。
「チーム」でのボールコントロールの練習ばかりしていた結果としか思えない。コレ、いかにも日本のチーム作りらしさ紛々。

従って、プロでないとの指摘はよくわかる。勝利をもぎ取りたいなら、そんな枠にはまったチームの動きではなく、互いにクールな関係で戦えという話だろう。ただ、それができるには、個々人が強くないと無理だが。

それに、「緊張感」のとらえ方が違っているように思う。絶対に負けられぬと言ったところで、勝てる自信がなければ、真の緊張感は生まれないもの。
シゴキなど、緊張感とは無縁なのだが、それで気合いを入れるといった文化を未だに引きずっている可能性さえ感じる。単に暴力行為がなくなっただけで、精神論は全く同じなのではなかろうか。
特に、サッカーのように、頭脳プレーが必要なスポーツでは、創造的緊張感が生まれない限り、一瞬のチャンスに気付いて、それを生かすことは無理である。もしもこの体質だとつらいものがあろう。

そんな体質だとしらた、チームワークの考え方もいびつなものにならざるを得ない。創造的緊張感が生まれにくい土壌作りが推奨されるからだ。曰く、・・・
 「苦労して全員でやってきた。
そして、必ず、核となる人がいる。
 「声をかけて雰囲気作りに気を配ってくれる方。
 「皆の気持ちをつかんで引っ張っていってくれる方。
そのお蔭で、
 「心情を慮って動くことができる。
 「だから、一丸となって頑張っていける。

これは創造性発揮と対極的な風土と言わざるをえまい。
プロとして生きるということは、チーム方針に関しても徹底した議論ができる能力があるということ。当然ながら、練習内容について監督・コーチの考え方に納得がいくまで執拗に聞く筈。
上記のタイプの組織は、文句一つ言わずに、ただただご意向に従う姿勢を見せるだけ。指示された通りの試合運び以上のことはしないということになる。

科学的に考えることをせず、精神主義的根性論で進むしかない。試合運びにしても、ココ一番を主体的に切り拓くことはせず、チームへの献身的姿勢を見せることに注力することになろう。
世界の強豪とは、チームワークの概念が違うとも言えよう。

但し、そうなるのはある程度致し方ないのは確か。
義務教育で叩き込まれてしまうからだ。全員一斉練習ばかりやらされ、そこでは個性発露を抑制される訳で、「型」にはめられてしまうのだから。そして、修養・鍛錬に精を出すように指示されるのである。
自分の「型」を探すことより、とりあえず「型」から入って、道を切り開けと指導を受けるのである。たいていの人は、自主性を失っていくだけ。
もちろん、それを突破できる優秀な人も現れてはいるのだが。

(ニッケイ新聞 小倉祐貴記者)
日系社会ニュース 2014年7月17日
 W杯=セルジオ越後氏が辛口提言=日本敗因に文化的背景指摘
  (上)=「プロスポーツの体なしてない」
  (中)=学校による選手育成の限界=求められる社会的意識改革
  (下)=アイドル作ったマスコミ=JFA批判できないメディア
コラム | オーリャ! 2014年7月25日

(C) 2014 RandDManagement.com    HOME  INDEX