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■■■■■ 2014.8.6 ■■■■■


日本での自殺防止は簡単ではなさそう

2014年版「自殺対策白書」が6月末に発刊されたが、15〜39歳の死因の第1位が自殺であるというデータに危機感を持った人も少なくないようだ。
超党派の「自殺対策を推進する議員の会」が緊急要望をまとめたそうだ。
 「国を挙げて若者の自殺対策を 全ての子どもに予防教育
  谷合正明・超党派議連ワーキングチーム座長に聞く」
    [公明新聞:2014年7月29日]

その柱は3つ。
(1)全ての子どもへの自殺予防教育の実施
(2)若年女性が相談しやすい受け皿づくり
(3)インターネットを活用したアウトリーチ(手を伸ばすという意味)の強化

いかにも公明党らしくて、好感が持てる動きである。

ただ、「それはそうなんだが」感は否めないところ。
原因に切り込む本質的な方も手掛けて欲しいと思うからである。
と言っても、白書を見る限り、現状では、残念ながらそれを手掛けることは無理である。

と言うのは、「原因」の分別が、本質的な問題を表面化するような区分けになっていないからである。
もっと言うと、日本では、「自殺」の数は少な目に見積もられているので注意した方がよい。
日本の警察は真面目生一本と言う人もいるくらいで、「自殺」「他殺/傷害致死」「事故死」「病死/老衰」という区分けを、証拠に基づいて判定するらしい。素人からすれば、他に該当しないのなら、「自殺」だろうと勝手に決めてしまうがプロはそうはいかないのだ。証拠が無ければ「変死」とせざるを得ない。常識的には、ここにも多くの自殺者が含まれていると言わざるを得まい。

つまらぬ話をしたが、これは結構重要な点なのである。
つまり、「社会との接点を失った人」に自殺者が多いのではという仮説があるからだ。
変死」とは、その究極の姿である可能性を感じざるを得ない。遺書無し、連絡無しなのだから。

超党派議員の会を育ててきた谷合正明参院議員(公明党青年委員会顧問)がいみじくも指摘しているように、「高校中退・進路未決定者」は一般的に自殺のリスクが高いのである。要するに、社会に居場所がなくなったからである。

このことは、「居場所を追い出されそうな状況の人」も同様に当てはまることになる。
そういえば、何を意味するか、おわかりになろう。
学校なら「いじめ」であり、社会の組織なら「パワーハラスメント」だし、家庭なら「ドメスティックバイオレンス」といったもの。この周辺では、必ず自殺者が生まれる。
特に「パワーハラスメント」は大学でさえ、珍しいものではない位で、日常茶飯事と言ってもよかろう。
当然ながら、組織の最若年層はこの手の「いじめ」の対象となりやすい。誰かを血祭りにあげたい人が野放し状態なのだから、それに狙われたら最後、どうにもならないのである。狙われる方に問題があったと考える人が過半の社会なのだから。
そうした日本の風土を考えると、原因の元を断たない限り、この手の自殺者を減らすのは難しいと思われる。
難題である。

ただ、居場所がなくなって孤立しているだけなら、救える人達も大勢いそう。
社会との接点が無いといっても、生活していかねばならない訳だが、働く気を失っていれば、手近にある軽度なギャンブルや疑似ドラッグの類にのめり込む可能性はかなり高いと思われる。言うまでもなく、それなりにカネがかかる訳で、それが続かなくなれば、することがなくなり自殺ということになりがち。
しかし、ギャンブルへの強烈な執着心があるのだから、自殺するような人ではない筈。なんとかなるのではなかろうか。

それと、警察の統計では全く見えてこないのが、「うつ病」自殺者の数。確率的に自殺志向者が生まれる疾病であり、この割合を知りたいものだ。
まあ、簡単ではないが。と言うのは、日本の場合、病気以外の理由で自殺した人達のなかに、悩みすぎで、鬱状態になっていた方が多数含まれている可能性がありそうだから。
・・・ここには、自殺防止では、2つの問題が含まれている。
第一は、鬱病診断を心理的に気軽に受けるような風土から程遠いと言う点。
第二は、鬱状態の人に、「君ならできるゾ」「頑張れ」と、好意から声をかける風土。つまり、鬱病に関して無知なのである。このような言い方をすれば、それは自殺の引き金になるというのに。

同じように、もう少し精査する必要がありそうなのが、「経済問題」を理由とした自殺。治安の観点で考えれば、これは至極まともな分類だが、こと自殺者防止には全く意味のないものになってしまう。
それと雑音が多いのも、検討を難しくさせる要因の一つ。古典的サヨクは、貧困が自殺に繋がるという手の話を繰り広げたがちだからだ。言うまでもないが、そこにはなんの理屈もない。ご本人はそう思っていないようだが。

おそらく、「経済問題」で一番多い自殺のタイプは「皆に迷惑をかけたくない」というものだろう。その次が「面子」かも。

もしも、このような自殺者が多いとしたら、カウンセリングの効果は期待できないと見た方がよかろう。
簡単に言えば、この手の自殺は、儒教圏の発想ならではのタイプ。自分が属する集団のなかで、自分の役割が果たせそうになくなると、アイデンティティ消滅に陥り、人格的な危機に遭遇するのである。他人にはなかなか理解しずらいが、生きていく希望を失ってしまうのである。これは宗教観に他ならず、希望を持つようにとのアドバイスが受け入れられるためには、改宗が必要。自殺防止は簡単な仕事ではないのである。

そう考えると、「病気」理由の自殺も、こうした観点から細分する必要がありそう。
西欧的な発想では、イの一番は不治の重篤な病になろう。症状悪化の一途でしかなく、苦痛の毎日が続くことがわかっていれば、自殺を選ぶ人がでておかしくなかろう。この場合、自殺防止は考えもの。

しかし、日本の問題はおそらくそういうことではなかろう。
病気で周囲の人に様々な迷惑をかけているという点を気にした自殺が多いということ。惨めな死に様はご免蒙るという感覚もあるかも。
この辺りも儒教圏の発想のような気がする。

そして、もう一つ気になる病気として、アルコール中毒をあげておきたい。中毒者は自殺することが多いからだ。このタイプがどれだけ存在しているのかも、見ておく必要がありそう。

ということで、ダラダラ書いてしまったが、それは書き手の能力の問題であるが、自殺の現状がさっぱりわからないからでもある。この状態で防止対策を考えるといっても、かなりの無理があろう。


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