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■■■■■ 2014.11.13 ■■■■■


宮崎駿監督の受賞挨拶を見て

宮崎監督のアカデミー名誉賞の授賞シーンを映像で見た方も多いと思う。
小生はその言葉にギョッとさせられた。

「紙と鉛筆とフィルムで映画を作れた最後の時代に立ち会えたことは幸運だった」との発言がなされたから。

日本の現実とは少々違うかなという気がしたのである。最後の時代どころか、まだまだ現役が続きそうな感じがするからだ。時代の波からずいぶんと遅れているのは確か。
しかも、世間一般で見ても、それをヨシとする風潮が強そう。しかし、よく考えれば、それはそれで良いのかも。宮崎監督自ら、それを「最後の時代」と語ったので気付いた訳だが。その言葉には「文化」の香りがした。
おそらく、電子化時代への対応のためには、脱皮が不可欠。皆、大いに苦労することになろう。しかし、「文化」を支えてきた人さえ育っていればなんとかなろう。遅れずに真似に勤しむのを避けたのは慧眼だったかも。独自の新しい飛躍の道を切り拓く可能性を秘めているということで。

これは、いかにも歩みの鈍い電子書籍の状況と似ている気がしないでもないが、全く違う。マンガの領域を除けば、こちらは期待薄と言わざるを得まい。
誰が考えても、書籍の領域では、宮崎アニメの世界のような、世界に通用する文化が構築されているとは思えないからだ。それは言語の問題ではない。

小生が見るところ、日本の書籍に、はたして「文化」があると言えるかというレベル。
もちろん、知識人は数多いし、教養主義的な理屈を捏ねることで日本の「出版文化」を褒め称える人は少なくない。しかしながら、小生には、薄っぺらな大量生産物(そして使用済みは即廃棄)だらけの業界に映る。この状態だとすれば、「文化」を育てるどころではなかろう。

はっきり言えば、欲しい人のところに、それにピッタリの書籍がタイムリーに届くような「文化」にはほど遠いということ。「文化」が育たない土壌としか思えないのだ。しかも、業界人は、その風土にどっぷりつかっているから、おそらく、そんな自覚も無いだろう。

この状況下で、電子書籍を立ち上げようというのは無理筋に近いかも。
フォーマットさえ未だにバラバラなのも、さもありなんである。僅かな顧客に、僅かな電子書籍を、赤字覚悟で売り続ける所存なのだろう。多分、そういった姿勢を見せることが「文化」的と勘違いしているのだ。
出版権や、利益配分の問題等が普及を阻害しているのは確かだが、こうした姿勢を見せつけられると、それらに手をつけたらといって市場が伸びるとは思えない。

例えば、どうしても電子書籍で読みたいコンテンツというものもある。しかし、そのようなものほど電子化されないのである。もちろん、それができない理由を精緻に述べる筈である。

(記事) 宮崎駿監督、短編「作れる限り作る」 アカデミー賞授賞式 日経 2014/11/9 21:20
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