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■■■■■ 2015.3.15 ■■■■■


Scienceynessの議論

Scienceynessという単語は小生にとっては初耳。
Scott Adamsのディルバートは知っていても、こちらは知らなかった。
Scott Adams' Blog: "Science's Biggest Fail" February 2nd, 2015 @ 9:13am
これがScience Fandomとして取り上げられた訳である。
"A Disease of Scienceyness"
 [→cartoon & RECOMMENDED ARTICLES March 9, 2015@realclearscience]
How misguided science fandom hurts actual scientists by Ben Thomas Mar 4・6 min

日本語ばかり眺めがちになるが、Narureを眺めていて気付いた。ほほう、そんな議論があるのかと。
   "A criticism of 'science fandom' prompts online reflection
An essay argues that the rapid sharing of science stories on social media can spread misinformation." by Mark Zastrow Narure 11 March 2015

確かに、科学を装うかのような、いい加減な論文紹介は五万とある。ただ、そこだけ取り出すのは果たして意味があるのかはなんとも言い難い。
まともな論文やプロジェクトについてなら、それはその通りかも知れぬ。
しかし、もともとの研究意図がナンダカネものも少なくない状況。と言うか、ほとんど原理主義者然としている、非科学カルトが跋扈しているのが現実。それを棚にあげて非科学的に囃す人達を問題にするのはバランスを欠いていると思う。

「the consumer who may not have science training “is a little unfair”」的な主張は標的を間違っている。

もちろん、SNSが誤解を一気に広めることはある。それは政治の世界でも全く同じ。観点の異なる意見を同時に示すことを旨とする旧型メディアとは違うから、議論が一方向に流れ易いのは間違いない。従って、その特性を活用した、巧妙に仕掛た運動が多発していると見てよかろう。ミスインフォメーションも珍しい話とはいえなくなっている筈だ。

そんな状態にもかかわらず、科学の分野だけは無縁にしておこうというのは無理筋である。
確かに素人の出鱈目批判に辟易する気分はわからないでもないが、それを前提にして動くべきだろう。

問題はそこではなく、Science Fandomがカルト化しているか。その判断が極めて重要だと思う。
もしもカルトだとしたら、いち早く、それ相応の対処を進める必要があろう。

間違えていけないのは、素人だろうが、科学者だろうが、カルト的集団は常に存在する訳で、無くすことは無理という点。その弊害を最小限に抑え、影響力を減らすしかないのだ。
そのためには、科学者がカルト体質にならぬようにすることから始めないと。
言うまでもないが、カルトの一大特徴は、尊大で無知という点。どのように批判されても、聞く耳もたず。「信念」で動いているから熱狂的なのである。科学者には少なくないし、そうした姿勢を誉めそやす人もいるから要注意である。

ともあれ、我々は、カルトの存在を前提として生活する以外にない。日常的に、脅威にさらされているということでもある。その動きに対する抵抗力をつけるべく、不断の努力が必要なのだ。
だが、それは、そう難しいことでもない。ミスや間違いはするものの、「信頼できる」人達の話を聞く習慣をつければよいのである。ミスをしない人が「信頼できる」訳ではないのである。

人々に、その習慣が身についていないと、社会は脆くも崩れ去る。SNS自体は、どちらの方向に進むにしても、その勢いを加速させる単なる道具にすぎまい。一番の問題は、人々に知識が欠けていることではなく、「信頼できそうにない」人を指導者に選んでしまう体質だと思う。

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