表紙 目次 | ■■■■■ 2015.3.31 ■■■■■ 大学進学率格差話について 「大学に行くのをあきらめる日本の若者を減らすことがとても大切」とのタイトルがついた、とあるブログ(2015年03月18日)を読んでの感想。 小生も、そうは思うが、どこか違和感が。気になるので、書いてみた。・・・ 「日本はいまや高等教育は容易に得られる国ではまったくない」とのことだが、そうなったのは随分と昔のこと。 バブルで持てる家庭と持てない家庭に差が生まれた頃である。もちろん、大学諸経費も上昇。 ただ、本人さえ大学進学の強い意志があれば、ほとんどの場合は実現した筈である。 と言うのは、4年間頑張れば、それなりのリターンがあると思えたから。 ところが、そんな期待は霧散したとなれば、低所得層の進学率上昇はありえまい。金銭的余裕が無ければ、当たり前の話では。 例えば、地方大学を卒業しても、就職口探しには一苦労だろう。なんのツテも無いのだから。 しかも、地方は、税金で成り立っている業界だらけ。才覚を活かせる気もしまい。 もちろん、東京なら、そこには様々な職はある。しかし、家賃は高い。仕事も大変で気が抜けないから、生活は楽とは言い難い。地方と違って、挑戦する場はあるとはいえ、借金して家を買うことができるまで行けるかはなんとも。それが現実。 ただ、"非"低所得者層の場合は、こうしたストーリーにはならない。地方でも、それなりの進学メリットを享受することが可能だからだ。教育効果ではなく、ツテの形成で。 従って、こちらの層の進学率は一貫して向上している筈。 そんなことを考えると、どうしてもこんな風に考えがち。・・・「向学心にあふれて大学で勉強したい若者があきらめる、特に地方で多い、理由は経費がかかりすぎる。」 おわかりだろうか。問題は経費ではない、卒業後を考えると、ペイしない投資になってしまうから踏み切れないのである。借金してまで大学には行けないというに過ぎない。 つまり、「大学教育に関しては首都圏や京阪神、中京などの大都市圏に親が住む子供達が圧倒的に有利」という指摘も、間違いではないが、目を曇らすもとと言うことになる。 東京は、大学進学率が高いが、それは大都市圏に住んでいる優位性の結果と言うよりは、新しい職があふれており、収入レベルも高いから自然にそうなるというに過ぎまい。 例えば、東京であっても、区立小中学校の児童・生徒の2〜3割が公的補助受給者だったりする。高所得者層の子供は、私立に流れているということ。そんな状態で、大学進学の金銭的余裕があるとは思えない。しかし、そんな地区が、23区内での大学進学率がトップクラスだったりする。ここだけ見てしまうと、都会の利点を享受していると結論付けがち。 ところが、都会の利点を生かせる23区内で、ワースト1を見ると、大学進学率は地方の低い数字とたいしてかわらないのだ。都市圏圧倒的有利論では説明のしようがあるまい。 都会でさえこの状態であることに目をつぶるべきではなかろう。 都会と地方間の進学率ギャップを埋めることなど無理筋と言えまいか。 できることは、どうしても進学したい地方の人達を都会が面倒を見る位のもの。新陳代謝を嫌う土地から、自由に挑戦可能な都会に出てきてもらうということ。 はっきり言えば、地方への援助はもう限界。 と言うか、改革の時間が残っていないからである。 日銀が禁じ手を始めてしまった以上、政府には、地方を救う余力など無い。そんなことをしていたら、都会も一緒に没落していくだけ。そして、日本全体が急速に貧しくなっていく。海外への資産の叩き売りしかできることは無くなるのだ。 それを避けるには、都会の飛躍以外に手はなかろう。言い換えれば、地方には、できる限り静かに衰退の道を歩んでもらうことになる。それは、地方の人々が自ら選んだ道である。 (C) 2015 RandDManagement.com HOME INDEX |