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■■■■■ 2015.4.13 ■■■■■


パラオについて

70年前の悲惨な戦争を、国家として振り返るのは重要なこと。現役の政府高官が率先して、外国の代表と一緒に式典を行うべき行事。
その観点では、硫黄島での日米合同慰霊式典挙行に厚労相と防衛相が出席した姿勢は評価すべき。

南洋庁があったパラオでも、慰霊祭が行われた。パラオ共和国主催の晩餐会も行われたことは、特筆すべきこと。日本が平和国家として歩んできた道を、パラオ共和国が国家として支持しているとの表明に他ならないからである。
それは同時に、米国政府がその姿勢を肯定したことを意味する。ついに、舵を切ったと考えるべきだろう。ここは、米軍にとっては、忘れることができない「原体験」的な戦地であり、そう簡単にふっきれる訳がないからだ。(西洋では常識的ルールとされていた降伏を恥と見なし、飢餓に直面していても、尚、玉砕の道を選択する軍隊と初めて戦い、多くの戦死者を出したからだ。)

生還できた当時の兵士の方々も参列されたそうだが、90歳前後の筈である。使命感からとはいえ、かなりの飛行時間を要する旅であり、大変なこと。
そのお一人お一人に両陛下がおことばをかけられたという。そして、「どうぞ皆さんお元気で。お大事にね」と。
「慰霊の旅」は有り難いことだが、これでよいのかとの気持ちになる。現地でゆっくり静養もせず、ほとんどトンボ返りとは、いくらなんでも辛すぎる。しかも、体調万全での訪問という状況でもなかったようだし。今回を節目に、のんびり老後を過ごして欲しいというのが、正直な感想である。さらに、ガダルカナル島もとなったりしたら、いくらなんでもであろう。

パラオ共和国にしても、戦争の傷跡イメージを払拭し、太平洋の楽園の道を歩んで欲しいものだ。もっとも、その道もどちらへと進むか分岐点にさしかかっていそう。

観光業の島として、日本も発展に寄与すべし型のトーンが目立つが、そんな単純発想は考えもの。
ここはもとから人口過少の国。(戦前も、沖縄からの移民人口が現地人口を越えていた可能性がある。)そこに、労働集約的なサービス業になりがちな観光業を伸ばそうというのである。産業振興を図れば、大陸からの移民労働者導入必至。当然、中国語圏から、一過性の観光客大量呼び寄せが急速に進むことになろう。生活態度もモラル感も異なる人々が一気に流入してくる訳で、島内の社会風土は一変することになろう。静かな環境ではいられなくなる。
もちろん政治的にも。
なにせ、戦争だらけの歴史を嬉しがる体質の人々が大勢住み着く訳である。この70年間を見てわかるように、朝鮮半島、ロシアやインドの国境、ベトナム侵攻と負けそうにないと思えばすかさず。台湾での戦乱も厭わないというか、それが悲願なのである。もちろん、国内でも熾烈な民族弾圧や権力闘争に明け暮れてきたのはご存知の通り。そして、パラオは中国海軍から見れば、グアム-パラオは第二環状ラインに当たる要衝。対応を間違えば何をされるかわかったものではない。日本も含め、太平洋島嶼国家は、大陸の覇権国家との友好関係維持は一筋縄にはいかないのである。

日本人観光客が最も多いとの記事を見かけるが、これも、昔からのことではなかろう。かつては、本格的ダイビング愛好者以外は訪問しなかった地ではないか。
小生は、ダイビングはしないが、戦争を知らぬ世代なので、戦争の傷跡という感覚に乏しいから、滞在したことがある。パラオパシフィックリゾートに宿泊し、のんびり過ごしたが、実に気分のよい施設だった。人は少なく、静謐そのものであり、気分転換に申し分ない環境。美しく清潔そのものだが、余計なものを排除しており、反俗化の権現のようなスタイルに仕上がっていた。当時、すでにグアムは皆でワイワイ愉しむ地と化していたが、パラオは、それとは全く逆の路線だったのである。
確か、5日ほど滞在したような気がするが、その間、日本人には全く出合わなかった。
ただ一人を除いて。・・・それは、暑さのせいか、ロビーで家内が突然体調不調に陥った時のこと。周囲にホテルのスタッフはいなかったと思うが、突然、マネジメントがどこからともなく現れ、日本語で助力を申し出てくれたのである。そう、経営は日本企業だったのである。


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