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■■■ 2011.1.27 ■■■ 眼で見ると、日本語は海洋民族語 〜 日本語の発音は単純だが、それこそが最大の特徴。 〜 日本語は五十音だから、朝鮮半島とは語族が違うと書いた。たいした説明もしなかったから、おそらく、なにがなんだかわからなかったと思う。簡単にその理屈をまとめておこう。 先ずは、日本語の発音の特徴から。例外的なものを捨象してザックリと書いてみよう。尚、網羅的にまとめようとした訳ではないので、そのつもりで見て欲しい。 ・音節は、1音素(母音のみ)か、2音素(子音+母音)。 -音節は必ず母音で終わる。 -二重母音も二重子音も使わない。 ・母音の長さは余り気にしない。 ・母音は5種類だが、琉球では3種類である。 それと、余り本質的ではないと思うが、アクセントが高低型である点も注意しておくべき。 但し、以下の点を考慮しておく必要がある。 ・長母音は存在する。 -「−」記号。・・・カタカナにつけ外来語表記に多用する。 -拗音。・・・これは中国単語対応の長母音代用品だと思う。 ・母音ではないが、"n(ん)"だけは音節の終端にくる。 -阿吽論が伝来し、"mu"等を「ン」に変えたのだろう。 ・無理矢理五十音表の音に当て嵌める習慣が染み付いている。 小生は、上記に比べればたいした特徴ではないと思うが、重視されているものがあるので、記載しておこうか。 ・ラ行音と濁音が語頭にくる単語は外来語である。 ・"r"と"l"は同じ発音の子音とされる。 さあ、これでどう感じるかな。 いかにも、雑種民族を目指している言語とはいえまいか。発音が単純であり、多少の音の違いを気にしなくても通じるように気を遣っているように思えるが。 実際には五十音の中には例外はあるし、五十音文字の通りに発音されないものも少なくないので、簡単と決め付ける訳にはいかないが、わかり易いことは間違いなかろう。外国語は、一番似ていそうな五十音に変えて文字表記するか、文字を知っているとそのまま五十音読みしたりする。元の音とは変わってしまうが、気をとめることはない。 これができるから、雑炊言語になる訳だ。 移民にとっては、自分の言葉を無理矢理五十音型発音にされるのだから面白い筈はないが、そう感じるうちは日本人として扱われないのである。雑炊式に異国の言葉を日本語に入れることに躊躇しなくなった時、日本人になってしまうということでは。 〜 朝鮮半島と日本の間には、発音上で深い溝がある。 〜 世界的に見ていかにも特殊な文字を使うのが朝鮮半島と日本列島。これが隣り合っているのだから、この2つは言語的に同類と考えるのは極く自然。実際、助詞を使う構文構造がそっくりだし。 そのため、両者の単語が全く違うことに気付いてはいても、単語を安直に輸入しがちな日本語の特質からみて、そんなこともあろうと考えがち。しかし、文字に対する考え方や、上記の日本語の特徴を俯瞰的に眺めると、それは大きな間違いの可能性が高い。 特に、文字表記の仕方に注意を払うべきだ。・・・世界の主流言語は「子音」記載に注力している。それこそ、子音しかない文字や、子音に母音の符号をつけるものだらけ。母音の文字表記はあっても、実際の発音とはかけ離れていたりして、重視されていないのは一目瞭然。大陸の言語はほとんどが子音重視タイプなのである。 しかし、五十音図を見ると、その流れに抗していそう。すべてを5つの母音で整理することを義務付けているような表構造だからだ。要するに、日本語は母音命。 従って、語末は必ず母音になる。と言うか、子音を独立して発音する能力が全く身についていないのである。(例えば、"book"を発音すると語尾が"ku"になってしまうということ。) ところが、朝鮮半島では語末子音が圧倒的に多い。中国やタイの方が余程少ないとの印象を与えるほど。日本と発音習慣が大きく違うのは間違いない。 〜 「眼」の発音で海洋民族語群が見えてくる。 〜
訓だと"me"か"ma"という、子音+母音の1音節語。(幼児語だと"o-meme"で、古臭い言い方だと"ma-na-ko"。)他の言語がどうなっているか眺めると、日本語の位置が朧気ながら見えてくる。 こんな話をすると、たった一つの単語での類似性などナンセンスで、そこから決論を出すなど暴論そのもの、統計的に見なければお話にならないとなろう。 だが、こうした見方は間違い。 一例での検討は重要なのである。証拠を示して論理を構築するための分析を行おうという訳ではなく、その前段階としての、概念的把握なら、こちらの方が余程意味があるからだ。 ということで、右表を見て欲しい。 西太平洋島嶼が"mata"という発音の大きな一塊になっていることがすぐにわかろう。それは、ポリ、ミクロ、メラ、インドの4"ネシア(島嶼)"地域を主体に、西はマダガスカル島から北は台湾島の高地族までを含むオーストロネシア語族なのである。 日本の訓での発音はその前半、タイやラオスは後半、ベトナムは最後の"a"抜き。 一方、日本での漢語読みは、“gan”か“gen” で、末尾が撥音の「ン」。「ン」は万葉集の時代にはなかった言葉、大陸からの輸入語である。中国は今では“g”音は消滅したようだが、末尾は相変わらず“n”。島嶼系列とは音韻が全く違うのである。言うまでもなく、朝鮮半島は大陸系の発音に属す。 (尚、“ng/m”は広東語や閩南語で使われている。) そして、この地域から外れると類似性は全く感じられなくなる。 何を、ここから読みたいかおわかりだろうか。母音を大切にする日本語の特徴とは、この島嶼言語にも感じ取れるということ。 なかでも注目すべきは、島嶼民の単語末が阿吽の"a"である点。これは、口を大きく開いて、息をそのまま吐き出す音。一番自然に出せる音素だ。 これに子音の"m"を組み合わせれば、結構大きな声が出せるし、曖昧性は少ない。小船間でのコミュニケーションが重要なら、納得できる発音といえまいか。 これは、宗教観とも合致していそうだが、それは別途考えることとしよう。 〜 語末母音は海洋語的発音。 〜 おそらく、西太平洋島嶼では、日本語同様に語末が母音であり、単純な音節発音になっていると思われる。屋外で波と風の音がする環境下では、当然の発声方法だと思う。 いかにも、小船を漕ぎ出す海洋民族的言語。 ちなみに、その影響は子音にも現れている。日本語の辞書を見ればわかるが、音がはっきり聞こえる鼻音の"n/m"や、息音がして特徴的な破裂音の"k"から始まる基礎単語がやけに多い。 自信を持って言えないが、"k"と同じように"t"で始まる基礎単語も他の言語と比較すれば多いのでは。 西太平洋島嶼語も同じ傾向ありと睨んでいるが、どうだろうか。 一方、内陸語の欧州語には"k"から始まる単語は少なく、えらく対照的。その元祖サンスクリットも同じでは。文献を調べていないのでなんとも言えぬが。 この手の勝手な推測をさらに続ければ、内陸系は"s"のような摩擦音は好かれても、潮騒地区は避けたがるかも。 昔、フィジーの歌のカセットテープを10巻ほど聞いたことがあるが、何を聞いても同じで、気が抜けるような感覚に陥った。発音からすれば"h"は抜群に合う。しかし、"s"は暴風の音のようでいかん。これが小生の実感。 【付記】 ちなみに、西太平洋島嶼で"mad"と子音で終わっている例外的存在はパラオ。海も"Daob"と語末は子音。それらはもともとの発音かは判然とはしない。理由は歴史。 【紀元前2,000年頃】・・・住民存在 【1885年】・・・西国植民地化 Soldado(軍人)→Soldau 【1899年】・・・独国植民地化 Fahrrad(自転車)→Rrat 【1919年】・・・日本国委任統治領 ヒコーキ(飛行機)→Skoki 【1947年】・・・米国信託統治領化 Television(テレビ)→Tibi 【1993年】・・・独立 パラオのリゾートホテルの図書室でのんびり過ごしながら、ここの言葉の一般向け紹介本(英語)を読んだことがあるが、とんでもない言語があるものだという印象だけが今も残っている。うろ覚えだが、綴りは決まっていないとされていた気がする。多分、アルファベット文字を発音に合わせて適当に書くということだろう。 無文字社会だったなら、ありそうな話。 それに、文の構造も決まっていないとか。SVOの順番もさることながら、主語はおろか動詞も省略可能とかでびっくりした覚えがある。だが、今になって思えば、日本語もそう言える言語かも。 そんなことを思い出せるのは、数え方がとてつもなく複雑とされていたからからでもある。モノの数え方を知りたかったのだが、コリャ一体どうなっているのだと仰天。どんな説明だったか全く思い出せないが、数詞のことかも。英語民族から見れば、日本の数え方も複雑怪奇に映ることだろうし。 「超日本語大研究」へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2011 RandDManagement.com |