■■■ 2011.1.28 ■■■

   日本語は山岳部族語でもある。

日本語も西太平洋島嶼語も根底は部族語。
 日本語は海洋民族語と言ったそばから、同時に森深い山岳民族語でもあると言ったらどう思うかな。全くいい加減な輩と見なされるか。
 実は、ここが肝。冗談ではなく、海彦・山彦言語だと見たのである。

 繰り返すが、母音重視と、できるだけ単純な単語にするのが海洋民族語の特徴。言語学を学んだことがないから、そんな見方をするのかは知らないが、日本語の基底にはオーストロネシア言語族の言葉があるという説があるそうだから、その幼稚版にすぎないのかも知れぬが。
 ただ、基礎語彙の統計的類似性があるから同一語族と結論付けているなら、根本的に考え方が違うのでご注意されたい。西のマダガスカルから東のタチチまで広がる一大海洋帝国があったから同一語彙が生まれたとは思えず、統計的分析は間違った見方を導きかねないと考えるからだ。

 伝播のイメージから言えば、危険な海を越えて漂着した貴人が、自分の信奉する単語を語り、それが住民の心に焼き付いたという感じで広がったというようなもの。内陸部における、一大国家や宗教誕生での言語統一とは性格が全く違うということ。
 つまり、海洋民族の場合、信仰上重要なコンセプトの単語だけ類似性が生まれるにすぎない。その単語以外は部族毎に違って当然。貴人は逞しい男性だろうから、伝播した単語の発音も子育てする現地の女性の発音に勝手に変換されてしまう。異民族の言葉だろうが、自動的に渾然一体化していく訳だ。これが海彦語の特性。(貴族の乳母制度も言語を守るための重要な制度だったと見れなくもない。)
 と言えばおわかりだろうが、そんな発音変換の習慣は日本語英語として今もって続いている。

日本語には山岳部族語の習慣が組み込まれている。
 さてそれなら、山彦語はどうなるか。

 おそらく、日本語類似の山岳部族語と言えば、中国貴州省辺りに住む少数民族ミャオ(苗)族等を思い浮かべるのではなかろうか。照葉樹林帯文化が余りにも喧伝されてしまったからだ。
 しかし、それは大間違い。
 ミャオ・ヤオ語族の分布図を見ればわかる。孤立している少数民族というのは作られたイメージなのだ。中国南部から東南アジア北部の山岳地帯を広くカバーしている言語である。一大語族と見た方がよかろう。かつて、この民族は一大帝国を形成していたと考える方が自然である。そうでないとしても、地理的位置からして、「呉」に大きな影響を与えていたのは確かだろう。日本語に相当部分が移植されていておかしくない。その意味で日本語との類似性は必ず存在する。
 だが、それは山彦語ではない。
 山彦語は、海彦語と対照的でなければ意味がないからだ。一大帝国の言語ではなく、島嶼語と同じように、孤立した部族集団の文化の匂いがある筈。帝国の統一言語では、海洋民族語の特徴は消されかねない。

 冗談で言っている訳ではない。小生は、本気でそう考えた。
 つまらぬことだが、本気で考えることが重要。真摯に考え抜かないとこの解は見つからないからだ。

 もう一度、「眼・目」の言葉の一覧表を見て欲しい。そこに、日本語が世界でも稀な言語であることを示す強烈な証拠が挙がっている筈。それこそが、山彦語の特徴そのもの。
 と言えばおわかりだろう。日本語には、“me"、"ma"、"moku"、"boku"、“gen”、“gan”となんと6種類もの違う言葉がある。コンセプトが違う訳でもないのに、こんな沢山の言い方をする言語があるだろうか。
 これが、実はあるのだ。

 気付かないのは、ほとんどが絶滅させられた言語だからである。東南アジアの大きな島には、鬱蒼とした森の山々が残されているが、そこにも人が住んでいたりする。文明から取り残された一族として、センセーショナルに紹介されたり、その文化を徹底的に分析するために文化人類学者が一緒に生活したりするから、ご存知の方も多かろう。
 このような山岳少数部族の言語は、おそらく、違う言葉をいくつか抱えている筈である。

 言うまでもないが、たいていは焼畑の自給自足の半定住生活。一見、小集団で多の部族から隔離されているように映るが、そんな筈はない。部族外との婚姻と交易無しで部族を維持できる訳がないからだ。交流の頻度は低いが、密度と深みは相当なものだったに違いない。場合によっては、合従連衡の戦争もあっておかしくないから、意思疎通は重要なのである。
 この場合、言語はどうなるか。

 想像に過ぎないが、リーダーはマルチリンガル能力が不可欠となろう。短期間の交流で深い付き合いをするのだから、それ以外にはありえまい。そして、互いに特別の祭祀言葉を共有していた可能性が高い。部族内の通常会話以外の言葉が存在したということ。
 違う発音の言葉を数種類覚えているのは、リーダーなら当たり前ということ。
 日本語はその伝統を今も大切にしているのでは。
 輸入単語大好きは、山彦語の伝統なのである。面白い単語があれば、普段使っている単語と並列で使うことになんの躊躇もないどころか、それが楽しいということ。

海彦・山彦言語は音楽でもある。
 この海彦・山彦言語体質を理解すると、日本語文法の基層も自ずとわかってくる。
 基本は短い音節の単語を、いくつか語ること。それは一見稚拙な表現に見えるが、現代で言えば藝術表現の粋と見なすこともできる。日本の言葉は音楽でもあった可能性は極めて高い。

 そういえばおわかりだろう。

 日本語には、音の高低アクセントがあるのだ。
 アクセントは同音異義語の区別に使われると思いがちだが、それは、そういう教育を受けてきたからにすぎない。区別が不要な語にもアクセントはあるからだ。それに、語を区別するにしては、地域によってアクセントが違ったりするのはいかにもおかしい。
 もちろんリズムもある。それは今でも盛んであり、五・七・五感覚なき文章は無いといってもよいほど。音楽理論でいえば、八分の八拍子ということになるのかも知れぬ。例えば、7拍の音符が続き、1拍休符がついて、1小節を形成するといった具合。1拍休符に、5拍の音符が続き、2拍休符というシンコペーション型もある。

 発音は単純だが、音楽感を与えることで、情緒性を高めたのだと思われる。それは、文章は、「場」が設定されないと意味がよくわからない言語だからできること。雰囲気に合わせた音楽で、感情を伝える言語だったのは間違いないところ。
 話し手と聞き手は、お互いの感情を傷つけないように注意しながら会話を進めたということでもある。まかり間違って、相手を怒らしでもしたら殺されても当然という社会だったのでは。その」伝統は少しづつ消えてはいるが、今もって他人の言を否定したりしない習慣は残っている。これこそ山彦語のルールそのもの。

 こうした海彦・山彦言語の特徴を考えると、西洋文法を直接当てはめたりすると、合わないところだらけになっておかしくない。
 おそらく、当初の品詞は、意味を持つ単語と、その単語関係をわかり易くするための接辞語の2種類。重要なのは、単純で短い語幹にあり、名詞と形容詞を分ける意味も薄かろう。
 ただ、この言語に、次々と国家言語が重なっていった訳である。意図的に進められたこともあるし、混血化で進んだこともあろう。しかし、どのような言語が入ろうとも、海彦・山彦言語の基本だけは捨てなかったようだ。

 おそらく、日本語以外の海彦・山彦言語は、現代世界では消えていく運命にあろう。少数部族社会を前提にして作られた言語である上、文字化する必要もなく、文明化の流れに取り残されればひとたまりもなかろう。
 日本は、たまたま、漢字や五十音図を取り入れたから、統一国家への道を成功裏に歩むことができ、一大言語として残ることができた訳である。


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