■■■■■ 2011.2.14 超日本語大研究 ■■■■■

 「私」の類義語を考えて見た。

 トイレの日本語呼称は矢鱈数が多いとの話をした。
 普通、数の多さを語る場合は、一人称の言い方がなされる。しかし、これは日本語の本質を語るための例としては、適当とは言い難い。

 その理由は5つ。

 一つ目は、一人称の人称代名詞としてのコンセプトがはっきりしていない点。
 当然ながら、単複の違いがある訳だが、もともと名詞に単複形がない言語では、理屈上は"I"と"We"が合体せざるを得なくなる。しかし、それは無理な話であり、どうしても例外的な扱いにならざるを得まい。"皆"と"私達"が同じかもよくわからない。我々のなかに、相手も入っているのか、除外するのかなど、コンセプトは色々ある筈なのだ。

 二つ目は、ちょっとした言い回しの違いを気にしない点。
 単語のコンセプトに変更を加えるつもりもないのに、接頭・接尾語をつけたり、中間の音を変えたり削除する言語の場合、どうしても種類は増える。"わたくし"、"あたくし"、"あっし"、"あちき"とあげると限りなくなりそう。これが、日本語のゴチャゴチャ感を醸成しているともいえるかも。 しかし、いくら沢山あっても、所詮は同一単語群である。

 三つ目は、上記と似ているが、他の用語を気にせず転用する点。
 単語のコンセプトとしては、全く違うにもかかわらず、会話の場の雰囲気で、一人称として解釈してくれそうなら、他の指示用語をあえて使うことがある。正式な単語でないから、特殊な場であることを相互が認識する切欠にもなる訳だ。
  対面儀式的強調・・・コレ、コナタ、コチ、コチトラ[此方人等]、コノホウ
  緊張関係強調・・・ソレガシ[某]→ナニガシ

 四つ目は、こうしたゴチャゴチャ状態を活用して、オチャラケ感を好む体質がある点。
 構文重視言語と違い、主語を抜いてもよいから、一人称をわざわざつける場合は、場の雰囲気を和らげるために、トンデモ表現をして見たくなるのはわかる気がする。今でも以下のような言い方を耳にすることは少なくない。特段の意味がある訳ではない。
  方言真似・・・おりゃあ、わだす、わたしゃ
  子供呼ばれ・・・(自分の名前)ちゃん、僕ちゃん
 オチャラケ感とは全く逆に映るが、その本質は同じようなものもある。全く関係ない言葉を使うことで日常性を打破するとされる。一種のエスプリと見たがどうだろうか。
  茶の湯・・・手前[てまえ]
 なにせ、この言葉、上品な訳がないのである。酔っ払いが"テメー"と絡んできたりするのだから。

 五つ目は、人称代名詞とは言い難い用語を多用する点。
 言霊信仰が強い社会では、自分の名前を着易く教えることはできない。しかし、重要な場合は「名乗り」を行う。つまり、正式な一人称とは、自分の名前。代名詞は名前を隠すためのもの。
 そうした文化の影響か、中国同様の組織重視社会の故かはわからぬが、一人称として、職業集団内では役職名が一人称を兼ねることが少なくない。ただ、それが狭いコミュニティだけで通用するとも限らない。公務員は"本官"、民間職員は"小職"、それに該当しない場合は"当方"という形で、未だに用いられている。
 家庭に於いても、制度的なヒエラルキーがあるようで、「父は反対だ。」という言い方が続いている。
 この手の呼び方は、探せばいくらでもでてきそうな感じがする。

 このように考えると、とても単純比較をする気がしなくなる訳である。しかし、日本語には数々の表現がある訳だから、それをどう見るか考えておく必要はあろう。
 と言うことで、以下は小生の思いつき的なもの。題して、「倭の正統語["a"]の変遷」。
   (1) 基本母音時代
       言語の発生・・・あ
   (2) 半母音導入時代
       部族並存・・・わ
 ちなみに、フィージー語は"au"、ハワイ語は"au"("wau")、マオリ語は"ahau"。琉球語は"わん[wang]/わあー[waa]"。
   (3) 語尾音節追加時代
       統治制度・・・あれ、われ[我、吾]
   (4) 別呼称誕生時代
       貴人層・・・まれ、まろ[丸、麻呂、麿]
   (5) 多音節外来風用語登場時代
       奏上用語・・・わたくし[私]
   (6) 多音節語の和的省音節化時代
       簡略用語・・・わたし、わし
   (7) 多様化時代(チとかラ)
       貴人用語・・・わらわ[妾]
       非大衆用語・・・わちき
       大衆用語・・・わっち、わい
   (8) 先祖返りの"a"語頭音嗜好時代
       砕け口調・・・あたくし
       省略用法・・・あて(おそらく、"あたいとして"という言葉)
   (9) 幼稚化嗜好時代
       柔らか用語・・・あたい

 尚、「俺」は、"われ"が"おれ"になったという説があるようだが無理筋。日本語は子音重視ではなく、母音重視言語と見なしているから。
 一方、"おれ"は二人称だったとの説があるそうだが、こちらはありそう。"おれ"と言われて、"おれか?"とか、"おれはネ、・・・。"と言い返す体質だから、二人称が一人称になっても驚きではなかろう。構造言語だと、"You"を"I"に返るなどおよそありえないが、場を重視する言語ならどうということはない。ちなみに、ハワイ語の双人称は"'Oe"らしい。
 日本人の体質から見て、"オレ"という言葉が流行れば、その変化語は"a"同様に生まれてくる。オラ、オイラ[己等]、オレッチ、(方言)おいどん、といった具合だ。

 もちろん、直輸入語もあるが、こちらは主流とは言い難い。
     権力者・・・余[ヨ] (おそらく、"朕"[チン]の真似)
     武士・・・拙者[セッシャ]
     書生・・・僕[ボク] ("下僕")
     インテリ・・・イッヒ[Ich]、我(我輩[ワガハイ])、小生
     興行関係・・・アイ[I]、ミィー[me]

 「手前」という用語が広く使われた結果ではないかと思うが、新しい言い方も考えたようである。見方を変えれば、習合ということか。
     み[身]→みども
     みずから[自、(pl.)]
     自分
     内[ウチ]

 こうして並べてみると、まあ、確かに語彙は多い。基本語を選ぶのさえ難儀しそう。
 ともかく正統派"a"の代表は「わたくし[私]」。
 それに、男性用語なら、無頼的感覚での「オレ」、居丈高な「ジブン」、その逆の「ボク」が加わるといったところか。
 女性用語も同様にある筈だが、「ウチ」は方言化しているようだし、「わたくし」の変化形全盛のようだ。

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