■■■ 2012.6.17 ■■■

   日英仏独伊の発音対比本を読んでみた

フランス文学の篠沢秀夫教授が筋萎縮性側索硬化症で闘病生活に入ったのが2009年のこと。・・・始めて知った。
考えてみれば、昔、TVのクイズ番組で見かけただけのお方。著作を読んだことが無いどころか、そもそも、どんな文学者かも全く存じ上げなかった。
そこで、一冊選んで読んでみることにした。2010年9月脱稿の、「美しい日本語の響き」。
あとがきによれば、この時点ですでに声が出ない状況。その上、人工呼吸器装着。しかし、「心のなかで、フランス語の詩を朗読し、フランス民謡を歌っている」という。ヒトの音声とはそういうものだったのだ。認識を新たにした。

「正確な発音を確認することは、その言語の社会の正確な姿を把握することにつながる」との実感が、おぼろげながらとはいえ、湧いてきた感じも。コレ、理屈ではわかっていても、それがどういうことか、聴覚上で感じ取るのは凡人には難しいのである。

特によくわかったのは、日本語の母音の特徴。西洋語と比較すれば、中間的な音で、筋肉の力をできる限り抜いた発声らしい。要するに、曖昧さを許容し、柔らかな発声を好む体質ということ。
これこそが日本語の美意識と言えそう。残念なのは、何故そんな美意識が生まれたのかを示唆するような一言を欠く点。学者としては、いい加減な想像でものを言う訳にもいかないだろうから致し方ないとはいえ。

素人からすれば、面白いのが、日伊の類似現象。母音が日本語と同数なのは知られているが、「イ」の柔らかい発声がそっくりだとは。人間関係の緊張を嫌う性格が現れているのではないかと思ったり。小生は、来客歓迎の海人感覚が基底にありそうと、思わず感じてしまう訳だが。
従って、「ヤマトコトバ」の根幹は、ウラル・アルタイ語族であるとする大陸語起源説に賛成という教授の姿勢には違和感を覚えることになる。日本人が雑種文化愛好の民だったとしたら、日本語をどれかの語族に当てはめるのには無理がありすぎるとも思うからである。
言語学ではどう解釈されているのか知らないが、ウラル・アルタイ語族特有の母音調和とは、2言語混交の結果では。「アウオ」というもともと3つしかなかった母音言語が、他言語と混交を余儀なくされ、「イエ」が加われば、当然ながら単語はできれば前者だけで形成したくなるのは当たり前なのでは。極く自然に考えれば、3母音の海彦言語に、5母音の山彦言語がかぶさったものとは言えないのだろうか。

欧州言語図の転機となったのは、例えば、ゲルマン民族の大移動。もちろん有史での動き。ところが、日本の場合は、大勢の渡来人を受け入れて同化することはあっても、その手の大転換はなかったようである。米軍駐留期間を除けば、非日本人の征服王朝による言語簒奪に見舞われることもなかったようだし、新文化をしゃにむに取り入れ、「雑種文化」的発展を旨として生きてきたように見える。表面的には変化は激しいが、その言語史は連綿と続いていると考えてよいのでは。ここが西洋と違う点。
はっきり言えば、アジア系のマジャール人やフィン人のように、日本人も大陸を移動してきて西の辺境にたどり着いたというシナリオが正しいとは思えないということ。大陸の移動民の語族との類似性を、日本語の基層に据えることができるのか、じっくり考える必要があると思うのだが。

(本)篠沢秀夫:「美しい日本語の響き母国語を知り、外国語を学ぶためのレッスン」 勉誠出版 2010年11月


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