■■■ 2012.6.20 ■■■

   日本語に西洋語的な祖語はなかろう

言語を語族に分類したいのは西欧の学問の特徴。聖書の記述からして、自然な感覚と言えよう。
なにせ、始めに神の言葉があったのだ。それが何語かわからぬが、大祖語が存在するのである。世界が作られ、そこでは、ヒトも動物も簡単にコミュニケーションができた。そうなると、祖語は擬声語とすべきかも。
その後、ヒトが思い上がり、神から罰せられ、言葉が通じなくなる。つまり、祖語から、次々と新しい言語が派生したことになる。
従って、西洋では、ミトコンドリア・イヴ同様に、すべての言語は一つの祖語からとの基本理念は揺ぎ無いものとなる。

そして、その理念を後押しするのが、欧州での言語分布の現実論。
祖語から、新しい言語が派生していくのは政治的実感そのもの。同じ言語でも、被支配感情を抱く地域に住む人々は、一方言とされたくないため、独自言語を主張することになるのである。そして、言語が異なる理由から、クニとして独立を目指し、被支配から抜け出ようと試みる訳だ。

実際、「多数人口の標準語 v.s. 少数人口の方言的言語」の抗争例などいくらでもありそう。目につくものをあげてみようか。・・・
  ●スラブ語圏内●
   (東部語) ロシア---ウクライナ、ベラルーシ
   (西部語) チェコ---スロバキア
   (南部語) ブルガリア---マケドニア
  ●バルカンロマンス語圏内●
   ルーマニア---モルドバ
  ●西ゲルマン語圏内●
   ドイツ---ルクセンブルク、アルザス
  ●コーカサス語圏内●
   グルジア---アブハジア


上記にしのばせたが、こうした「愛国主義的」な言語対立は、我々も学校で習った。そう、ドーデ作「最後の授業」。アメル先生が感極まり声が出なくなりフランス万歳と板書するラストシーンを知らない人はいまい。これにジーンとなった思い出がある方もおられよう。子供ながら、ドイツ軍アルザス進駐の理不尽さに怒りがこみ上げたりして。
しかし、コレ、考えてみるとおかしな話。地域言語のアルザス語とはドイツ語の方言にすぎないからだ。反フランスならわかるが、その逆とはなんともはや。要するに、アルザスにフランス人が大挙移住していたということ。アメル先生の授業とは、実は、アルザス語撲滅教育だったのである。

言うまでもないが、全く異なる語族に囲まれていれば、クニとしての独立心はさらに強まる。印欧系(独)/スラブ系に囲まれたマジャール語の国ハンガリーは、ソ連への反抗をいち早く始めたのを思い出す方もあろう。もっとも、今や、国粋主義勃興が注目を浴びる国と化しているが。そうそう、アンチ印欧系(西/仏)の旗印を掲げ続けるバスク独立運動は未だに頭の痛い問題だ。この言語の広範囲な複雑活用度はピカ一だから、妥協なき姿勢を示すのも当然かも。

もちろん、欧州でなくても、同様な体質は日本の隣国にも見てとれる。
朝鮮語の基底は、ツングース系言語(満州やオロチョン)のような気がするが、発祥はよくわからない。中華帝国と日本の文化がなだれ込んでいるからだ。現行の基本語彙はどうみても漢語。しかも、文法的には日本語類似。この状態だとアイデンティティ喪失感を覚えかねないから、漢字と日本語単語の徹底排除が行われてきたのはご存知の通り。クニとしてまとまるためには、排他主義で進まざるを得ないのである。

こんな例をあげ続けるのは容易い。そのため、クニとしての独自性を主張するため、祖語から分かれていくのは、当たり前の現象と見なしがち。
しかし、そんなことはないのである。それがわかるのが、日本語。
何の躊躇いもなく、他言語の語彙をドシドシ取り入れるのである。しかも、それがお洒落感を示していたりするから凄い。なにせ、昔から、「どれが純粋の言葉であり、どれが外来語であるかといふようなことに就ては、国民の自覚が極めて薄い」(1934年)と言われ続けて来たのだ。こんなこと、独立志向の欧州言語には、とても真似ができまい。ただ間違えていけないのは、日本は、標準語化では世界の先端を歩んできたクニであるという点。通じ合わない言語の同居は許せない体質なのである。他言語の単語は後から後から流入するが、それはすぐに日本語の単語として組み込まれてしまう。元の言語では通用しない言葉と化すのである。(技術用語でも、このルールが適応されるからたまったものではない。ビニールという言葉がつい口から出てしまったりするのが日本人。)

だいたい、「膠着語」というカテゴリー自体、他言語の単語を取り入れるための仕掛けがある言語と見るべきもの。どんな単語だろうと、決まりきった助詞をつければ日本語になるのだから、極めて合理的な設計である。一方、西洋の「屈折語」とは、方言の独自性を高めようとして生まれた方策そのもの。覇権争いの結果生まれた、退歩的進化の産物でしかなかろう。

そうそう、日本語より、琉球語を眺めた方がよくわかるかも。西洋なら、先ず間違いなく、琉球語に独自性発揮の流れが生まれていた筈。ところが、その方向を嫌い、日本語の方言に留まり続けたのである。もともと、日本語とはかなり異なる様相を呈していた言語だった可能性さえあり、日本語と同調しようという力が働いたため方言になっているのは間違いなさそう。
どう考えても、列島沿いでのコミュニケーションを重視したからだ。コレ、黒潮に生きる海人なら当然の姿勢とは言えまいか。

同じことは、真性の遊牧民の言語でもいえるのでは。土着生活ではなく、常に移動し、様々な地域の人々と出会うことになるからだ。遊牧集団の規模は小さいし、できれば広範囲に通じる言語が望ましいのは自明。モンゴル語など、通用地域は広大だし、そうした言語の典型では。様々な方言があるのは間違いなかろうが、独立性の主張を抑え、互いの意思疎通可能なレベル維持を旨としてきたに違いない。
もちろん、これは過去の話。
遊牧を止めさせる思想による統治が始まり、異言語の民も大挙して流入したから、こうした言語文化はすでに崩れさっていると見るべきだろう。それに、ロシア語や中国語の帝国統治者から見れば、広範囲に意思疎通ができる言語とは、危険思想と同義だし。

(引用) 上田万年「国語の純粋に就いて」昭和9年 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1100461


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