■■■ 2012.7.20 ■■■

   ウデヘ語も日本語の源流と言えるかも

ツングース系少数民族のウデヘ語は、日本語と似ているそうで、比較言語学の研究対象になっているようだ。消滅の危機ということで、なんとか残そうと保護活動が行われているという。
小生はその辺りにはとんと疎いが、この言語には興味がある。ただ、それは、日本語のアルタイ諸語帰属説に関心があるからではない。言語学の本では、モンゴル系やトルコ系(チュルク)を主流とする「アルタイ諸語」との類縁関係が紹介されていることが多いが、小生はそんな話は全く読む気がしない。雑種である日本人の源流を一つにまとめることほど無意味な発想は無いと考えるからだ。西欧諸語が印欧言語として一括りにまとめることができるから、日本語もこの手で類推しようというのは無理筋と見なしている訳。祖語があって、そこから派生し進化するという道筋では、アジアの言語は読み取れまいと考えているからでもある。

小生は、ポリネシア系言語同様に、ウデヘ語が、日本語の底流にあるのではないかと見ている。文字無し言語であり、他の文化の影響を受け難い文化だったから、そこには古代日本語の面影があってしかるべしと見ている訳である。
感覚的に言えば、片や海彦言語で、もう一方は山彦言語。日本語は両者混在のままで、新しい言語文化をその上に重層化してきたとは言えまいか。
コレ、いかにも素人っぽい見方で面白くないか?

ただ、勝手に想像している訳ではない。日本語と類縁関係がある言語として検討すべきは、単語の語尾が母音であるものという原則は捨てられない。そして、母音の数が少ないことも重要。ただ、日本語はポリネシア系と同じく、音の高低表現重視型で、ウデヘ語のように強弱重視ではなさそうなので、そこら辺りは多少注意を要すが。
この感覚を共有できる方は多分「仮説」好き。

二足歩行の猿が言葉を話すようになるには、相当なバリアがあった筈。チンパンジーをいくら教育しても、まともな言葉一つ発っせないことが、それを物語る。発声構造に不向きな喉の構造だからだが、たとえ類似の構造だったとしても、数多くの筋肉を操る必要があるから、ちょっとやそっとの時間で習得できるものではなかろう。
おそらく、最初の言語は母音。しかも種類は少ない筈。
その当時の言葉を受け継いでいそうなのは、母音重視タイプの言語となる。日本語はいかにも、そんな時代の言葉も未だに大切に扱っていそう。ただ、多言語重層性も好むから、様々な言語が混沌と並存しており、その部分だけ取り出すのは難しい。
それに比べると、ポリネシア系言語やウデヘ語は、古代言語感をより忠実な形で残している可能性があり、それと日本語の類似性を見ることによって、日本語の源流が見えてくるのではないか。
ウデヘ語に注目したくなったのは、その単語。ざっと見ていると、母音はひょっとすると昔は一つだった気がしたりするのだ。それは日本語の先島列島「方言」の3母音で感じる、古代語風情と同じようなもの。完璧な素人感覚だが。

何を言いたいか、おわかりだろうか。
日本語の源流はウデヘ語との主張には、こうした手の「仮説」が必要ではないかと思うのである。似ている点をあげつらうだけでは意味が無い。重要なのは、どうして似てしまうかという論理。文法が似ているなら、どうしてそうなるのか理屈が欲しい。
ちなみに、日本語はポリネシア系と同じく、音の高低表現重視型だから、類縁性ありと見るのは実に単純な「海彦仮説」。波や風の音だらけの海の上で、離れた人に呼びかける際、こまかな強弱表現をしようと考える筈がないと思うから。逆に、森の狩猟を糧とする、警戒信号を中心としそうな山彦語では強弱が重視されるのも当然。

(参考)
・ウデヘ語 地球ことば村・世界言語博物館 AWL
・ウデヘ語の手引 バグジフィ! ウジェメジ ジャーナザフィ!Baagdifi! Udiemeji dianazafi! こんにちは! ウデヘ語で話しましょう!シマフクロウ



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