■■■ 2012.7.21 ■■■

   ロマ語と日本語を比較すると面白い

ロマ(差別と戦ってきた誇り高き音楽家達は今でもわざわざ「ジプシー」と自称すると聞いたことがある。)の言葉に関する日本語情報を探したのだが、残念ながら、簡単な紹介以上のものは見つからなかった。
その割に、ロマの生活に関しては、イメージレベルではあるが、広く流布しているのが不思議。といっても、心地よい話ではない。貧困層が大半で、失業率、出生率が高く、識字率はかなり低いといった手の情報。従って、流しの音楽家も多いといったストーリーが作られる訳である。ともあれ、難民や市民権なき移住者が欧州各国に散らばっている訳で、それがもとでの摩擦がニュースとして流れてくることになる。ナチスによる絶滅作戦や、ルーマニアにおける奴隷状態といった話を知っている人も少なくないので、その境遇に同情する人も多いようだ。
ところが、人種、宗教、言語については、その状況をほとんど知らなかったりする。可笑しな話。
小生もそのクチだったが、先日、ロマ語の話をチラ読みして、ようやくにして、そのことに気付いたのである。

そして、日本語の素性を考える上で、ロマ語が大いに参考になりそうな気がしてきた訳。流浪の民という点では、日本の土着的風土とは正反対だが、似た体質も感じられる点が実に面白い。どこまで当たっているかわからぬが、小生は以下のような点がありそうと判断。
  ・人種的にはゴチャゴチャ。(言語民族か。)
  ・宗教は表に出さない。(占い好きは有名だが。)
  ・地域毎にバラバラ。(国家感は全く無い。)
  ・文化的アイデンティティの意思表示は回避。
  ・ロマ語を話せない「外人」との同化を嫌悪。
  ・仲間内型の宴会大好き。(音楽センス豊か。)
  ・家族的自営業が生計の基本。
  ・手に職型生活信条。
流浪を愛する人達とされるが、手に職(鍛冶、石工、木工、等々)だと、何処ででも需要に応えられるからそうなったということだろう。ただ、欧州の農村では、定住可能なほど需要がなかったから、行商や芸人を兼ね、一時本職で食べながら、次々と移動していくしかなかったと見るべきだろう。ともあれ、ロマ全体としては、結構な人口らしいが、全体像は誰もよくわからない訳だ。
モザイクのような多言語社会での流浪の民だったから、独自言語を保つことができたとはいえ、普通なら交易のために所謂ピジョン化や、為政者との関係をためにクレオール化して、言語が混成化しそうなものだが、そうなっていないのが凄い。独自言語に相当な入れ込みがあるのは間違いなさそうである。
言語の本質を考える上では、面白そうな題材となりそうではないか。

前置きが長くなったが、ロマ語とはどんなものか、素人が簡単にまとめてみようか。

定説とまではいかないらしいが、北インドのロマニ発祥と考えるべしとの意見が主流。文字が無いため文献で過去をたどることは難しいので、確実なことは誰にもわからないが、語彙を見ても、印欧諸語に属すのは間違いない。ただ、ロマ語と言っても、複数言語を勝手に名づけたもので、中国語の地域語同様に多種多様。但し、中国語のように、統一表記という訳にはいかないから、意思疎通可能とは限らないようだ。
  意味---ロマ語-ヒンディ語-ラテン語-ドマニ語(中東系ロマニ類似)
  1 ---jekh-ek-unum-yika
  2 ---duj-do-duo-dì
  3 ---trin-tìn-tria-tærən
  諾 ---va
  否 ---na
単/複数と、性での分類もあるし、冠詞が必要なのも、いかにも印欧系との印象。
面白いのは、活用がアジア系とギリシア系の2系列があり、それぞれの単語でどちらか一方を使うようになっている点。どのような視点で分離されているのかはわかっていないが。日本語の訓読みと音読みとは違うが、誰でもわかるそのママ重層化を許容している訳だ。

但し、文法は、印欧語の主流とは違う。動詞から始まる語順だとか。ここが肝。
  日本語: (S)+O+V (主語無し多し。)
  英 語: S+V+O (主語不可欠。)
  ロマ語: V+O+S
つまり、伝えたい一番重要なことを最初に言うのがロマ語の特徴。日本語はお尻だから、真逆。
成る程。
日本社会はあくまでも会話に参加するメンバー内のコミュニケーション重視。相手の立場を理解し、下手な発言をしたりして、他人を傷つけたりしないように神経を使いながら話す。従って、できる限り、主語を明確に言わないのが慣わし。そんなものが互いにわからないようでは、まともな会話などできようがないと考えるからである。なにせ、話も最後まで聴かないとよくわからない手の文法。否定か、疑問か、はたまたサジェスチョンかも知れない訳だが、文章の最後の最後に行き着いてようやく判明。と言うか、結語を耳にする前に予想していないと円滑なコミュニケーションができない訳である。話し手の感情を察しながら聞く言語ということ。
ロマ語は逆。相手の感情を察したり、気を遣う必要がないのである。要するに、身内でやり取りするための言葉ということ。当然ながら、簡潔明瞭に一番重要なメッセージから話し始める。
この2言語とえらく違うのは、当然ながら、覇権語。言葉は権威そのものとされるから、社会統治に向く文法となる。当然ながら、日本語やロマ語のようなルールは大いにこまる。曖昧で誤解を招きかねない表現を許容することはできない。ともかく、できる限り規格化し、万人に伝えるようなルールを作るしかない。従って、「S、V、O」といった基本要素を必ず含み、順序も定型化することになる。それに加えて、細かな取り決めも必要となろう。合理性とか、論理性という話ではないのである。一番重視されるのは、話題にしている対象の、社会における地位を示すこと。最初に主語をもってくるのは、その観点では、自然な流れと言えよう。当然ながら、主語がはっきりしない場合は、仮主語を使うことになる。この点での厳格ルールこそ命の言語といえよう。

ちなみに、ロマ語には所有格が無いそうだ。ロマへの差別的中傷のモトになっていそうな感じがする。


 「超日本語大研究」へ>>>    トップ頁へ>>>
 (C) 2012 RandDManagement.com