■■■ 2012.8.10 ■■■ 日本語はふしぎではない 中西進万葉文化館館長の著作が魅力的とのブログを読み、とりあえず一冊あたってみることにした。 無料車内誌の連載小文の印象を踏まえ、選んだのは、10年ほど前に出版された「日本語のふしぎ」。多分、人気本だったろうということで。 当然ながら、広範な知識を駆使した説得力ある中西調。読めば、楽しい。 ただ、なんとなく仕掛けを咬まされているような気分になるが。・・・「どうだ、言葉の世界は面白かろう。」、「そう感じたなら、どこが本当でどこが誇張されているか、本格的に色々と読み込んだらどうだ。そして、自分の頭で考えてみろ。」と言われているような感じ。 細かいことを知っていながら、素人にはそんなことは一切伏せておいて、ともかく、先ずは興味を持たせる手の書き方をされていそう。 本屋に行くと、国文学者の類書は山のようにあるが、それらの体裁とはかなり違うのである。 読んで、やはり、一番気になったのは、體の名称。よく知られている、草や木とヒトの体の呼び名が同じという点についての解説。 そもそも、たった一音の単語であること自体ユニークだと思うが、同音異義語まで存在するから凄すぎる。しかも、メとマのような異音同義語も存在していたりする。こんな言語は滅多になかろう。(以下はいい加減な記載) メ(眼)=芽、ハ(歯)=葉、ハナ(鼻)=花 ミ(身)=実、ミミ(耳)=実々、ホホ(頬)=穂々 カラ[ダ](殻胴)=殻、エ[ダ](肢)=枝 語源はヒトの部位名称で、それを草木に当てはめた擬人化の可能性もあるし、その逆もありうる。話はとぶが、もともと、日本語は擬音語・擬態語だらけ。と言っても、外部の人には全く理解できない特殊な感覚での音ばかり。にもかかわらず、コミュニティのなかでは情緒が一番良く伝わる用語なのである。このことは、比喩的表現についても、自由自在と言えるのではなかろうか。そうなると、単語の概念も、いくらでも広くなっておかしくない。 もちろん、もともと、すべてを包含する概念の言葉だったという理屈が一番納得し易い訳だが。 確かに、「ワタつミ」、「ヤマつミ」が海と山の神(「カミ」)であるから、「ミ」とは魂あるいは霊を指す言葉であったのは間違いなさそう。そこから類義として、身や実も「ミ」と呼ぶようになったというのは正論のようだ。ついでながら、「ワタ」は海というより、渡航を指している言葉なのだろう。 まあ、これはこれで、どうということもないのだが、こうした言葉の起源を類推する場合、「歌」を多用するしかないのが気にかかる。万葉集しかないではないかと言われてしまえば返す言葉もないが、「歌」からの類推は慎重であるべきだと思う。歌は文章とは違い、多くの言葉が省略されており、下手をすると邪推になりかねない。特に、万葉集の「歌」は、詠み手と聞き手は同じ土俵の上で交流しているから、その危険性はかなり高い。どこにも書かれていなくても、両者ともに、「歌」の背景を理解しているとの前提があって始めて成り立つ作品がほとんど。たいていは背景説明の註がないから、真意はよくわからないものだらけと言ってよいのでは。 ただ、それが日本の歌の良さでもある。情緒を共有できると、短い文にもかかわらず、心にえらく響くのである。 考えてみれば、そんな「歌」の世界こそ、日本語の原点かも。 印欧語はどうも古くから名詞に性区分があったようだが、日本語はもともと不要というのも、歌を読んででいるとなんとなくその感覚がわかってくる。 男性的とか、女性的、あるいは無性との印象を受けるのは、古今東西当たり前の話。例えば、「海」が男性的か女性的かは、そのシーンで誰でも感じるもの。日本語の場合、その情感を話し手と聞き手が共有できるから、わざわざ性的な印象を表現する必要がないのだと思う。わかりきったことなのである。しかし、個人個人が違う見方をしがちな社会だと、なんらかの統一性が必要になるだろう。「海」は女性名詞にすべしとなったり。民族によっては、違う性を選択することもありえよう。 要するに、日本語会話では、参加メンバー同士が状況についての認識が一致しているのが普通。それがコミュニケーションの土台なのである。だからこそ、「これを、そうしたら、ああなったんだけど、どうしよう?」で互いに通じ合えるのだ。これが理解できない人がいそうな場合は、そもそも、そんな話題を登場させることははばかられるのである。 「歌」の場合も同じこと。 現代の我々にとっては残念ながら、当時の常識が想像できないから、どうしても誤解しがち。言い方を換えれば、様々な読み方ができるということでもある。 こうして考えていると、日本語とはかくも強靭なものなのかと感嘆せざるを得なくなる。どう考えても、現代日本語にも、古代言語の情感表現ルールが息づいていそうだから。 (blog)中西進さんのかかれるものについての感想 by yanagidamitsuhiro 2012-07-29 11:04 (当該本)中西進:「ひらがなでよめばわかる日本語のふしぎ」小学館 2003年 (體の名称では参考になるかも)古東哲明:「他界からのまなざし 臨生の思想」講談社選書メチエ 2005年 「超日本語大研究」へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2012 RandDManagement.com |