■■■ 2012.10.13 ■■■ 「ポリネシア語入門」を読んで 83冊もの多言語の語学書を書き下ろした上、「私は言語学の専門家ではなく、ズブの素人ですから、比較言語を楽しみで続けています」と語ったという、実に天晴れな著者が存在する。戸部実之教授である。 その一冊、「ポリネシア語入門」を借りてきた。 ポリネシア語という曖昧なカテゴリーだから、実用的な見地で読む人がいるとは思えないので、それなりに面白い話が散りばめてあると踏んで。それに、107ページと極めて薄いことも、これならざっと読めるかという気にさせるところがよい。 尚、この本、出版社が消滅したらしいが、古書店には結構存在しているのではないか。価格が\9,000と好事家向きだから。幾らで売られているのかは知らぬが。だが、いくら入門とことわっているとはいえ、参考文献リストが余りに貧弱。この分野にどんな本があるのか調べてはいないが、本当にそれ位しかないのか、はなはだ疑問である。ということで、余りお勧めしたくない手の本だが、この分野は日本語の本自体が少ないようだから、それなりの価値はあるのかも知れぬ。 早速だが、冒頭の序言が面白い。引用させて頂こう。・・・ 「始めに, 日本語の形成過程に迫るのに, 先ず南島に飛んだが, その後, シルクロードに転じたのは, 南島語は, 語彙も文法も, 日本語とは程遠いと思ったからである。それが, シルクロードから, 最後に再び南島語に戻って来たのは, 日本語の中に, 若干音韻の面で, 南島語の要素が微かに残っていると感じるからである。」 コレ、ずいぶんと大雑把な話では。気分は伝わってくるとはいえ、もう少し学問的なセンスでの言い回しがありそうなもの。あるいは、その辺りがこの著者の魅力ということか。 そんな印象を受けたのは、実は、小生は全く違うことを読み取ったからである。文法的類似性という観点で、十分考慮に値する言語と感じたのだ。逆に、音韻での類似要素については、もう少し詰めないと、なにがなにやら状態。と言うことで、その辺りをご説明しておこう。 対象はフィジー語だが、この言葉、名詞が格変化する。そりゃ、日本語と全く違う言語だと見なしがちだが、よくよく考えると逆かも。日本語だと、主語は「が」、目的語は「を」を付着するだけ。格変化は少し複雑なだけで、根本的に「格」表現があるという点ではなんの違いもない。ところがである。フィジー語は、主語と目的語の表現が全く同じとくる。こりゃ大変なことダゼ。どうやって区別するのだ。 もう一つアッと驚くことがある。動詞あるいは、叙述語無しで文章が成り立つのである。・・・「ソノ 先生 ○○(人名)」という調子。冠詞+一般名詞+固有名詞だけであり、動詞が無くても文章ができあがる。 西洋の理屈に合わせた日本文法を覚えこまされているから、すぐには気付かないが、これらは、日本語の表現とほぼ同じとは言えまいか。「アレ、○○君。」はよくある表現では。 要は、伝えたい単語を並べているに過ぎまい。これこそ、創成期の言語とも言えそう。日本人には、そんなものもできる限りどこかに残そうと工夫する体質を持っていそうで、両者は同根なのかも。 そう考えると、日本のSOV構文の意義も読めてくる。これを、英語や中国語における構文と比較してはいけないのである。とりあえず、覇権国の言語と同じように日本語としての構文ルールを決めただけ。ルールに従わず、順序を変えても意味が通じる訳で、はっきりいえば、構文などどうでもよいのである。重要なのは、細かな点での順序。 そう考えると、日本語はフィジー語とウリ。 初めてフィージ語の構文を見れば、余りの違いにビックリするが、平素語る言葉を考えると、日本語もたいしてかわらないことに気付きそれこそ仰天。英語直訳例を引いておこうか。・・・ is big the child. 大きい(ね)、アノ子供。 is running the child. 走っている(よ)、アノ子供。 さて、話は変わって、著者が指摘する音韻での類似点を考えてみよう。 日本語と南島語の類似点はよく知られた話である。単語の語尾が母音であるという点。 「ポリネシア語入門」では、その意味には全く触れていないが、多くの言語で語尾母音率を調べている。ただ、調べ方がわからないのでそのまま信用するのは禁物だ。とはいえ、だいたいの傾向はつかめそうな気はする。以下のようなところがポイントかな。 ・100%は、日本語と南島語のみ。 (フィジー、トンガ、マオリ、サモア、ハワイ、タヒチ、ソロモン) ・結構高率なのは、シンハラ語とその影響下にありそうなモルディヴ語。 近辺で、それなりに語尾母音が多いのはサンスクリット語。 そ少し離れて、チベット語や満州語が同じようなレベル。 ・良く知られるように、朝鮮語は語尾母音率は低い。 日本から離れている満州語の方が高い。 ・独語や蘭語といったゲルマン系も同様に低い。 ・ただ、伊語や西語はかなり高い。 これだけで、南島語が日本語と縁戚というのでは、恣意的な現象論。両者には、語彙的な類似性があるとは言い難いのだし。シンハラ語やイタリア語のような語尾母音好き言語と同じとされるだけ。主張するなら、なんらかの論理が必要。 小生は、南島民族は文字を使おうとしていなかったという点が鍵だと思う。音こそ命である。そういう民族は母音を大事にすると思うから。その体質は日本にも残っていそう。 ちなみに、伊語の語尾母音が多い理由は単純。言葉を歌にしたければ、自動的にそうなるだけ。まあ、日本語もそうではと言われればそうかも知れぬが。 尚、サンスクリット語はどう見ても理屈っぽい人工言語臭さがある。発声的に語尾母音を多用した可能性があるのでは。その影響が残っているのが、シンハラだったり、ネパール。さらには、それを経由してモンゴルまで。日本も、五十音を作った時点で、その影響を強く受けている可能性も。 もう少し、構文や、語彙について、しっかりと見つめ直さないとこれ以上はなんとも。 著者がもう一つ着目しているのが、語頭子音。 一番良く使われる子音で4グループに分かれるという発想。K、T、P、Sで、日本語と南島語はK群に入るというのである。これは手法的にはたして通用するのか、よくわからない。輸入単語があるから、対象語彙の選定で変わってしまうのではなかろうか。それに、ギリシア語もK群となってしまう訳で、言語音韻対応的な変化もあるから、かなり狭い地域毎の好みを眺めてしまいかねまい。 確かに、日本語の場合は、カ行、サ行、タ行という順番で単語数が並んでいそうではあり、K群に属すというのがおかしいとは思わないが。 それよりは、日本人は濁音を嫌っていそうなことの方が重要な気がする。語頭子音が濁音になるのは、和語としては異質だろう。それに、朝鮮語に違和感を覚える大きな原因は、語尾の濁音が耳につくからでは。語尾母音の言葉しか使わない人にとっては、異国の言葉と感じるのは当然のこと。 (当該本)戸部実之:「ポリネシア語入門」 泰流社 (1992.9) 「超日本語大研究」へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2012 RandDManagement.com |