■■■ 2012.11.15 ■■■

   アイヌ語の数を眺めて

ハワイ語をとりあえず南島語の代表として眺めてにたのだが、それだけで終わりにするのはもったいないので、同じく文字無し文化にこだわり続けた島嶼民族言語の数も見ておくことにした。言うまでもないが、アイヌ語である。
要するに、南島語に対する北島語。日本列島から北に続く島嶼や沿岸部の住民の言葉である。ただ、南島と違って寒流圏だから、大型船に鳥を乗せて陸が見えない海に繰り出すようなことは無理だから、海上での文化圏の広がりは限定的。その代わり、大陸河川や湖といった環境と深い係わりがあった筈。従って、言語的には、朝鮮半島から、渤海が治めた地域辺りと繋がっている可能性が高い。
つまり、超古代の日本列島は、南島語系と北島語系が混在しており、そこに雑種が生まれ、さらに次々と新たな言語の民族を融合していったのではないかと見ている訳。当然ながら、雑種とはバラバラで統一性を欠くことになるが、それでは社会が不安定だから「雑種言語」の一本化が図られたということでは。そのためには、南島語と北島語を「雑種言語」に100%取り込み、別言語として存在させないことが必須要件となる。前者は簡単に成功したが、後者はそうはいかなかった訳だが。

このように考えると、大陸側の言語と音韻学的に類似性を調べたところでたいした意義はないことがわかろう。なんだろうが、その時点で利があるなら取り込むことを是として生まれた言語なのだから。語彙、音韻ルール、文法など様々なものが混沌として埋め込まれている筈である。
  ・船依存文化(越南、揚子江中下流、客家、黄河中下流)
  ・陸中生活文化(雲南、山東、中原、満州、渤海)
  ・文字を通した文化(サンスクリット系印度、土耳古/波斯、蒙古)

ちなみに、地理的に一番交流がし易い朝鮮半島だが、大陸の端に位置しており、文字文化圏に入っているが、トレースできるのはせいぜいが14世紀なので、日本語と比較しても、結論はどうとでも読めることになる。しかも、日本と違って、雑種化的独自性を生み出すことを嫌い、ミニ中華イデオロギーに走ってきた権力だらけだから、言語的には肌合いが180度違う筈。文化の輸出入で言語的類似点はあって当然だが、本質的に異なると考えるべきだろう。朝鮮半島言語との類似性を検討したいなら、日本語ではなく、アイヌ語を取り上げるべきだと思う。

前置きが長くなったが、アイヌ語の数の話に入ろう。
第一印象としては、ルールがゴチャゴチャしている感。
 ・1から5が基本数字。
 ・次ぎの結節点的数字は10.
   -6から9は、10からの引き算。
   -11から19は、10に一桁数字の足し算。
 ・大枠では20進法。20の倍数。
   -例えば、30は、40から10の引き算。
以下、わかり易いようにハイフンを挿入して書いてみた。
 (1) sine-p [p-/pe-は数詞用の接尾辞だろう。]
 (2) tu-p
 (3) re-p
 (4) ine-p
 (5) asikne-p
 (6) i-wan-pe [=-4+10 ineのne落ち]
 (7) ar-wan-pe [=-3+10 repがarだが]
 (8) tu-pe-san-pe [=-2+10 wanpeがe-sanpeに]
 (9) sine-pe-san-pe [=-1+10 wanpeがe-sanpeに]
 (10) wan-pe
 (11) sine-p ikasma wan-pe [=1+10]
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 (19) sine-pe-san-pe ikasma wan-pe [=(-1+10)+10]
 (20) hot
 (21) sine-p ikasma hot [=1+20]
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 (30) wan-pe e tu-hot [=-10+2x20 tupのp落ち]
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 (40) tu-hot [=2x20 tupのp落ち]
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 (60) re-hot [=3x20 repのp落ち]

算数はわかるが、それぞれの言葉が何を意味しているかは、なにもわかっていないようだ。もちろん、似ている単語から強引な類推ができないこともないようだが。そのなかで、素人でも納得できそうなのは5。(5) asikneは、沢山のという意味でも使われるようだ。ちなみに、asikne-nとすれば、5人。類似音単語としては、手がaske、指だとaske-pet。
(尚、親指は、shi mompetで、shiは「大」ということらしいが、si-を接頭語として同様に使うとは言えそうにはない。1から4は指の名称では無いと見た方がよいのかも。数え始める指の順番と、各指が持つ機能的命名と齟齬がうまれかねないだろうし。)
(10) wanだが、無理矢理読めば、tu-a[sik]n[e]かも知れぬし、anにもともと両方という意味があって、10を両手の指と考えたと見るのは、おかしくあるまい。そのような数え方は、大陸側と交流する上では標準手法でもあり、必須だったろうし。
(20) hotの意味はわからぬが、両手足の指の総数というか、全部揃えたという意味と考えるのは常識的なところだろう。20進法はイヌイット(エスキモー)やケルトでも使われており、結構基本的な考え方と思われるし。

(2) tuと(3) reは、(1) sineと違って一音節であり、いかにも、tu-hotやre-hotといった接頭語用に映る。毛色が違うから、渡来語の可能性もあるのでは。
原点は、あくまでも、(1) sineと(沢山) ineだろう。5が導入されてineが4となったと見るとおさまりがよい。要するに、きちんと数える必要が生じて、20進法を導入したということ。5や10が定義され、40や80用の接頭語が生まれたと考えるのが自然とは言えまいか。それが、2と3。従って、本来の聖なる数は4では。ところが、一般にはアイヌの聖数は6とされるようだ。疑問。精神的古層からくる話でなく、歌の韻律上たまたまそう扱っているとか、歴史的事件に関係する数字で、為政者が定めた新しい習慣ではないか。島嶼語だからこうした中途半端な数になる訳で、大陸言語なら手の指の本数である5を選んでいるに違いない。数表現も、できる限り指と関係させていると思う。
それはさておき、5以上が引き算なのが特徴的。常識的には足し算にしたいところ。わざわざ高邁な論理を持ち込んでいるとしか思えない。理屈臭紛々のサンスクリット/印欧語の流れを感じさせるものがある。アイヌ語は島嶼語でありながら、日本語より大陸の影響が大きい言語ではないか。2と3は

言うまでもないが、「ヒ、フ、・・・」の日本語を話している人々にとっては、この手の20進法とはそりが合わないだろうし、数の基本語彙が4までという状況にも相当な違和感を覚えた筈。文化的対立に及ぶのは致し方なかったかも。ただ、アイヌ語の方が、朝鮮半島を含む大陸北方の言語群との親和性は高いのは間違いなさそう。アイヌ語は、日本語より、そちらの言語群に合わせることを優先していたということでは。


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