■■■ 2012.12.3 ■■■

   尊敬表現消滅仮説

はたして児童俳句会なるものがあるのか知らないが、観光案内施設にいくつかの句が展示されていた。時間潰しに読んでいたら、ビックリ俳句にでくわした。せっかくだから、御紹介しておこう。ただ、作者のお名前を覚えていない。ご勘弁のほど。
  箱根千石原に遊びに来て、
   いわしくも 湿生花園 あかとんぼ
情景が目に浮かぶ。言うまでもなく、鰯雲とは、秋の空に多く見られる鱗状の白い雲。見上げて眺めていると、川面の波かと思ってしまうといった感じだろう。湿生花園は12月になれば閉園する位で、秋ともなれば涼しいというより寒い位。訪れる観光客もまばらになる。咲いているのは、おそらく桔梗の類だろう。紫色の花が寂しげといった風情の筈。そんな雰囲気を味わいながら、清々した気分で空を見つめていると、赤蜻蛉が視界を横切って飛んで行く。今や、子供も日々多忙であり、1人でふと秋の想いにふけることもある訳だ。禁じ手の季語重複だが、それがかえって秋の深まりを強く感じさせている。

比較ということで、場所は違うが、大人の駄作例をあげておこうか。
  澤乃井で杯を傾けながら御嶽渓谷を眺めて、
   カヌー消え 蜻蛉ばかりの 秋の川
切れ字を入れる算段とか、情緒を醸しだす動詞を何にするか思案したりというのが、大人のつまらぬこだわりだが、結局のところこの程度止まり。
それに比し、児童俳句は凄い。何と評してよいのやら。
圧巻は、すべて名詞であるという点。原初的表現と言うか、日本語の本質剥き出し。

文法学者は、詩の言葉を例外扱いしていそうだが、素人感覚ではそうはならない。名詞だけの俳句に、若者の文法感が凝縮されていると見る。
なんとなれば、仲間内での日常会話が名詞羅列の短文スタイルになっていそうだから。・・・「カラオケする?」、「俺、靴、ナイキ。」、「アイツ、超不快。」、「今日、部活。」
オフィスでも、「申し込み用紙ゼロックスして。紙A4。」

多分、この流れは簡略化とは違う。接尾辞、助詞、助動詞を駆使し、文章末尾で微妙なニュアンスを伝える表現技術がさっぱり身についていないため、他に手がないのだと思われる。
「場」のなかでの情緒感伝達を重視するという風土は、今のところ維持されているから、本来なら、頭に叩きこまれている用法で、さまざまなニュアンスを表現したくなるもの。ところが、ルールを教えないから、上手く使えないのだ。従って、動詞を「名詞+する」にして、名詞の選定を工夫したり、名詞の並べ方や恣意的な省略で情緒を伝える方法に頼ることになる。そして実際に使ってみれば、結構、互いに心が通じあえることに気付く訳。

この見方が当たっているなら、そのうち敬語は消滅することになる。「場」のなかでの、各人の「立場」あっての敬語だが、その根底をないがしろにして、敬語だけ丸暗記させようというのだから、技術が身につく道理が無いからだ。
敬語を守れ、あるいは、美しき敬語こそ誇り、といった手のタイトル本はワンサカ出版されているが、それはこうした流れを止める力にはなるまい。下手をすれば、丸暗記お勧め本と見なされ逆効果かも。

間違えてはこまるが、過激な主張をしたい訳ではない。現実を冷静に眺めているだけ。
例えば、陛下という概念を重んじるなら、一般用語の「ご出席頂き」という言葉を使うことなどあり得ない。それは、外国語でも同じ。「ご臨席賜り」を使うべきだろう。ここで、「だろう」と言うのは、学校教育で習った覚えがないから。
何故そうなるかと言えば、地位、年齢、等で、上下関係をどう考えるべきか曖昧にしているから。これでは、「場」やそこにおける「立場」をどう考えるべきかわかる筈がなかろう。にもかかわらず、唐突に、「尊敬」を表現する必要があるとされる。さらに、「謙譲」精神を言葉で伝えることの重要性を教わる。しかし、誰に対して、どのような時に、どうして必要とされるのかのルールは示されない。にもかかわらず、今迄、友達のように接してきた人に対して、突然、尊敬語を使った方がよいと言われたりする。常識で考えて、そんな気分になれるものかネ。ともあれ、「尊敬」語を使うと可笑しいとされる状況との境がわからないのだから、試しに利用する人は滅多にいまい。そうなれば、どんな対応になるかは自明。試験で悪い点数も嫌だから、「尊敬」表現丸暗記である。どうみても無理筋の教育。

その結果、無難な対処策が流行ることになる。「場」に応じた、自分の「立場」を考えるのが難しい訳であるから、こんな姿勢になるのでは。
 ・上手に出ている印象を与えかねない「断定」表現は使わない。
 ・主語が曖昧な文章にしてしまう。
 ・意思表示と受け取られないような文章にする。
 ・「丁寧」表現をできる限り詰め込む。
 ・教わった「尊敬」「謙譲」表現をなるべく避ける。
従って、決まり文句を除いて、「尊敬」語は次第に「丁寧」語に統合されていくことになろう。「謙譲」語は生き残れるかよくわからないところがあるが、曖昧表現の一種になっていくのかも。
以上、素人仮説。


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