■■■ 2013.1.5 ■■■

   日本語基数詞の生成シナリオ

数についてはグローバル標準が行き渡っている。十進法と「1、2、3、・・・・・・、10」という文字を使うのは当たり前。と言っても、相変わらず、他の表記方法も残っている。
  I、II、III、・・・、V、・・・、X
  一、二、三、・・・・・・・、十
ただ、上記も5や10を区切りにしているから、まったく異質なものという感じはしない。
明らかに異なるのは、機械語としての2進法や時刻表現における12進法や60進法の存在。これ以外にも梱包単位として12進法が残ってはいるものの、事実上10進法のもとでの利用。

ただ、数字の読み方は各言語毎に異なっており、それは古代の数の概念を受け継いでいる。
なかでも、雑種文化を基調とする、雑炊言語とでもいえそうな日本語の場合、その数表現は意味深長。
一寸、上記の数列を眺めているだけでも、おぼろげながら、日本語のユニークな特徴が見えてくる。

一つは、「一、二、三」という概念がなかった可能性が高いという点。「単数、双数、複数」という発想をもともと持っている言語が多いが、日本語の場合は、そもそも、複数という概念でモノを区別する習慣はなかったのでは。
もう一つは、五とか十という「上がり」概念の欠如。この発想を輸入し、倭語に組み込んでいそう。
この場合、「上がり」から引き算でそれぞれの数を定義するようなことはえらく嫌っている。フランス語やアイヌ語とは感覚が違う訳である。従って、10が「上がり」でも、手の指を開いていくような、引き算的数え方はしない。と言って、10迄の訓読みを見る限りでは、足し算感覚もなさそう。その代わり、倍数感覚はあったようだ。もっとも、10を越えると、足し算だ。「10アマリひとツ」形式を用いている。かなり後世から始まったものではないかと思うが。

もしも、こうした見方がある程度当たっているとしたら、素人でも、基数詞形成シナリオを作ることができそう。せっかくだから、ド素人の実例をお示ししよう。

倭人の場合、数の概念は「人」から生まれたと考えたらどんなものか。つまり、基本は「一人」という名詞。助数詞は「リ」、基数詞は「ひと」。
   1 = HiTo(FiTo)
単数、複数の概念が無いと、単複で同じ言葉になってしまう。これでは数の概念にならない。両者を分ける必要がある。
   複数 = HiTo
そうなると、この言葉の語幹である単音の「ひ」を単数として、複数は語尾の「ト」としたくなるのでは。ただ、コノ場合、「トー」と長母音することになる。従って、複数形は「ひとー」。ただ、1を「ひ」と簡略化するのにも抵抗感があるだろうから、「ひと」表現は残る。
   単数 = Hi (ひ)
   複数 = Tou (とを/とお)
   唯一 = HiTo (ひと)
これをルール化するなら、複数を現したいなら、語尾を「u」に変えればよいということになろう。

ここで、「1、2、それより大きな複数」という概念が海外から入ってくるとどうなるだろうか。2は1の複数化ということだから、語尾を「u」にしたくなる。母音oは二重母音auでもあるから、以下のようになるのでは。
   1 = HiTo
   2 = HuTau → HuTaあるいはHuTu
   大数 = Tou
助数詞「ツ」をつけると、「HuTuツ」は母音uが3連続でえらく発音しにくいから、自然と「HuTaツ」が主流化。そして、基数詞の語尾「Tu」は複数表現として定着することになる。もちろん、助数詞「ツ」は大数の「Tou」にはつけないことになる。
ここで着目すべきは、2は、1と3の間の数として定義されていない点。10の倍数表現では、3以上は、そのまま使えるが、2の「HuTa」は使えない。ルールから見れば、10を「ソ」とするなら、20は「はた」ではなく、「ふソ」でよさそうなものだが、そうはいかないのである。位が一桁上になると、「ツ」が「ソ」に変わる訳だが、そういう意識ではなく、「ソ」が「とお」を指示しているだけの単純な話のような気がする。
  とお、はた、みソ、よソ、いソ、むソ、ななソ、やソ、ここのソ
尚、「とお」はすでに述べたように特別扱いで助数詞「ツ」は付かないが、他は「チ」「ジ」と、母音を「u」から「i」に変えて付けることになる。切れ目の数字なので、単数的感覚が生まれていそう。
  とお、はたチ、みソジ(ヂ)、よソジ(ヂ)、・・・

「1、2、大数」の次に登場するのが、「3」。全く新しい概念である。従って、語幹の単音の母音は「ひとツ」の「Hi」と同じ「i」としたいところ。その倍数は「ふたツ」の「Hu」同様に「u」に変わる。
   3 = MiTu
   6 = MuTu

この時点では、1、2、3を単数、双数、複数と考えてはいなかった筈である。大数の「とお」は、ここでは6を越える数となる。しかし、こうした「複数」というか「大数」という概念が倭語になかったとは思えない。呪術的な無量大数的なものがあったに違いなかろう。その言葉とは多分「や」。もともとは、八という数を意味していた訳ではないのでは。
   1 = HiTo
   多数 = Ya
本来なら、多数は10が該当する訳だが、すでに複数としての大数概念が導入されていた。しかも、その数は東アジアでは10と定められつつあった。
   10 = Tou
倭の多数概念と、10という数学的な多数概念を同居させる必要性に迫られたことになる。こうなると、「Ya」を9か8に当て嵌めるしかなかろう。すでに倍数概念が入っているから、偶数が収まりがよいから8となる。その結果、日本における呪術的数字は「八」となる。
   8 = YaTu

さて、4だが、これは2の倍数でもあるし、8の半数でもある。ただ、1→2→4という二度倍数表現形式は難しかろう。そうなると、YaTuが8だから、4→8という形にしたいところ。上記のルールに従えば、「Yi」→「Yu」だ。しかし、8の「Ya」は古代から伝わる重要な言葉なので、これを「Yu」に変えることなどできる訳がない。気分はあくまでも「Yu」ということにして、「Yi」を4にするしかない。しかし、「Yi」は発音上不可能。そうなると、4を「Yo」にするしかしかなかろう。もちろん、理屈でそう決めたのではなく、「Y」音を4に当てはめ、「Ya」音を避ければ、そうならざるを得ないだけのこと。
   8 = YaTu
   4 = YoTu

同様に、5も10の半数というルールが適用された可能性があろう。「Ti」→「Tu」という変化にしたいなら、「TiTu」となりそうなもの。その場合は、10も「TuTu」だが。まあ、多少の違いという感じである。
   10 = Tou (気分はTuTu)
   5 = iTuTu (気分はTiTu)
ちなみに、50は「いソ」であり、それからすれば、上記はの「iTuTu」ではなく、「iTu」となる。

残るは7と9。これは例外的扱いとなる。音が重複しており、極めて特殊である。
   7 = NaNaTu
   9 = KoKo(No)Tu

尚、20以上はもともとなかったと思われる。そんな数字も必要となってから、別な発想で呼び方が決まったと思われる。30以上で使われる、十の「そ」は別だが、100以上の大きな数は、多分、当該漢数字を含むなんらかの熟語に該当する訓読みから、漢数字の読みを決めた可能性が高そう。十百千が「そ」「お」「ち」となるから整然とした印象を与えるし、「もも」も重複発音で特殊形に映るから、倭の作出とも考えられないでもないが。
   百 = もも、 お (例えば、五百=いお、八百=やお)
   千 = ち
   万 = よろず

(当サイト過去記載) 数詞と助数詞の話 [2012.12.1]


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