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■■■ 超日本語大研究 2015.11.10 ■■■

秋の七草選定基準[その4]

萩とススキを背景として、葛、女郎花、撫子を庭に植えるのが、秋の「野」草の愛で方ですゾというのが、万葉人納得の憶良流。
それに付けたされたのが、残りの2種。こちらは一体ナンナンダ感があるが、上記の流れで考えれば、どうということもない。

先ずは、<藤袴>。
万葉集には、憶良の七草名称歌以外に全く登場しない。
中国名の「蘭」も使われていたというのに、わざわざ名称を変更している。その理由はもちろん不明。
藤袴という命名は"袴形の藤の花"といういたって平易なものであり、こだわる必然性があるとは思えないが、その気分わからなくもない。細かな観察眼で「正確に」眺めれば、「蘭」と「藤袴」は異なる植物と見なせるからだ。前者は、渡来の園芸栽培植物であり、後者はそれが日本の地で野性化した植物。現代人なら差は無しと見なすだろうが。
従って、野生化した種を「藤袴」と呼んだに違いないのである。
しかし、渡来臭が消えてはいないから、歌に詠もうという気が起きなくても致し方あるまい。でも、この花にはとてつもない魅力があったのである。だからこそ、その後の古今集になると状況が一転する訳だ。

何に惹かれるかと言えば、おそらく香りと花の色。生花をしばらく放置すると、塩漬け櫻葉のような芳香感が生まれるという人もいる位だ。小生は、ドライフラワーやバス用ハーブに使われているのを見たことはないが、そもありなん。
恋の季節到来となれば、この手の花は魅力的である。庭で藤袴に出会い、薫香を感じたりすれば、あの子に会いたしとの想いが一気につのるからである。たとえお香のタイプは違ったとしてもといえば、上品だが、下世話にはそれは体臭である。万葉人は憶良のこの指摘にグーの音もでなかったに違いなかろう。

さあて、いよいよ問題児の<朝顔[朝貌]

先ずは、権威者[日本古典文学大系補注]の見立てをまとめておこう。・・・
「木槿」は、朝咲きですぐ萎むし、和漢朗詠集でもアサガオとされるが、「牽牛花(今のアサガオ)」同様、渡来植物で非野生なので該当せず。「桔梗」は日本の野生種であり、新撰字鏡でも阿佐加保と呼ぶとされている。但し、和名抄や名義抄では、アサガホは牽牛花、蕣、槿とされており、「新撰字鏡だけを重要視しなければならない理由はない。また桔梗には、アサガホという名がつけられるような、特別な理由が見当たらない。
旋花(ヒルガホ)と考える理由も見当たらないから、結論的には、「未決定であり、これら以外の何かであるかもしれない。

桔梗は中国名(桔実梗直)。日本におけるキキョウという呼び名も漢字読みから来ているのは明らか。それなら、訓はなにかとなるが、深根輔仁:「本草和名」[901-923年]だと和名は阿利乃比布岐(蟻火吹?)と乎加止々岐(岡トトキ?)。 [→@NDL]
何を意味しているのかサッパリわからず。そんな位置付けでしかない野草を、突然にして、秋の代表の1つとするのはどういうこと。

日本古典文学大系補注で旋花(ヒルガホ)を取り上げているのは、アサガホが夕方に咲いている筈はなかろうという理屈。
    【詠花】
  朝顔[朝<杲>]は 朝露負ひて 咲くといへど
   夕影にこそ 咲きまさりけり

    [万葉集#2104]

つまり、貌花/容花類と見立てる考えもありうるいうこと。(夕顔は朝顔対応名だが、瓜の仲間で異種。)
    【大伴宿祢家持贈坂上大嬢歌一首[并短歌]反歌】
  高円の 野辺のかほ花 面影に
   見えつつ妹は 忘れかねつも

    [大伴家持 万葉集#1630]
この花もなんだと言われれば、「昼顔かも?」と答えるしかなかろうが、なんとも言い難しである。
ともあれ、蔓植物である顔花類(朝顔-昼顔)と桔梗を見間違うことなど有り得まい。

他にも朝顔歌がある。
    【寄花】
  臥いまろび 恋ひは死ぬとも いちしろく
   色には出でじ 朝顔[朝容皃]の花

    [万葉集#2274]

あと2首あるが、こちらは花としての意義を歌っているとは言い難し。
  言に出でて 云はばゆゆしみ 朝顔[朝皃]の
   穂には咲き出ぬ 恋もするかも

    [万葉集#2275]
  我が目妻 人は放くれど 朝顔[安佐我保]の
   としさへこごと 我は離るがへ

    [万葉集#3502]

ズルズルとどうだらこうだら書いてきたが、この「朝顔[朝貌]」、やはり桔梗だろう。

恋の花であり、荒々しい野草のなかで、朝露に濡れて咲いていてこその感興となると、桔梗としか思えないからだ。野卑のなかで、一際上品な顔立ちの乙女ありきということでもある。桔梗を眺めた瞬間、一夜の翌朝、露が輝くかのような美しい顔立ちを見た時の気分に襲われるのである。
野から庭に移植して愛でているが、撫子のように大事に大事にそだててはアカンのである。上品で伸び過ぎになってしまっては台無し。
あくまでも知らん顔で放置。すると、お盆前に早くも開花。もちろん、園芸早生品種ではなく野生化しただけの種である。これが桔梗のまっとうな生態。
もちろん、蒸す時期だから、知らん顔で過ごす。しかし、花が萎れたら、その茎を折って取り去る。ここが肝心。
これによって、二度咲きとなり、秋の草花と化す。
おわかりだろうか。
夏の朝顔と同じ位の大きさの花が咲く、通称「秋の朝顔」を咲かせていたのである。(当時の朝顔は渡来したばかりで、花は小さかったと推定してのこと。)

何故にそこまでするかといえば、紫色の花が咲くから。高貴ではないのに、その容貌は跳びぬけており、上品で余りにも美しすぎるということ。
政治がらみの恋とは違う、心の底から惹かれてしまう"華"がそこにある訳だ。

以上、素人のお遊びということで。

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