表紙 目次 | 雲の感興 行かなくなって久しいが、冬めいてきたら大菩薩峠と決めていたことがある。ほとんど人と出会わないから。 峠といっても、全面野原的な尾根の地。時間帯にもよるが、風が弱いことがあり、そうなると寝転がって景色をのんびり眺めることができ、自然に気が鎮まってくる。 岩倉具視五百円紙幣の絵葉書写真的富士山の姿がウリの場所だが、このコンポジションの決め手は手前の連山にある。まあ、そうした山並みよりは、冬雲を見ている方が楽しい。動かないようで、動いているからだ。 ただ、雨雲を眺めることになってしまうこともある。 東京からはそれなりの遠さだから、天気に予定を合わせる訳もいかぬ。小雨降りしきる中でも小さな折り畳み傘と蕎麦屋の出前持ち用合羽で決行とあいなる。 峠につく頃になると、寒さもつのりついに小雪になったりして。その程度は覚悟の上。どうということもなしである。と言うか、雪も又愉しとせねばやってられぬ。 雪雲もそれなりに趣ありと無理矢理思う訳だ。 み吉野の 御金が岳に 間なくぞ 雨は降るといふ 時じくぞ 雪は降るといふ その雨の 間なきがごと その雪の 時じきがごと 間もおちず 我れはぞ恋ふる 妹が直香に 反歌 み雪降る 吉野の岳に 居る雲の 外に見し子に 恋ひわたるかも [萬葉集#3293/4] 今にして思えば、雲が好みだったのは、時期も場所も違うが、なんとなく、山村暮鳥の「雲」を想い浮かべていたからかも。 「雲」 丘の上で としよりと こどもと うつとりと雲を ながめてゐる 「おなじく」 おうい雲よ いういうと 馬鹿にのんきさうぢやないか どこまでゆくんだ ずつと磐城平の方までゆくんか 「ある時」 雲もまた自分のやうだ 自分のやうに すつかり途方にくれてゐるのだ あまりにあまりにひろすぎる 涯のない蒼空なので おう老子よ こんなときだ にこにことして ひよつこりとでてきませんか 雄大な大自然を詠ったように見えるが、と言うか、その通りであるが、素敵な人を想っての詩でもある。伝道師として大洗辺りに来ていての感興。雲となって、あの人が居る磐城平にとんで行ければなあという嘆息が聞こえてくる。 雲は、藝術道を歩もうと決心し、寂しくともくるしくとも、精進々々の日々を送る方々にとって特別なものでもある。子規には拘りがあったようだ。 日本語にていふ雲の名は白雲、黒雲、青雲、天雲、天つ雲、雨雲、風雲、日和雲、早雲、八雲、八重雲、浮雲、あだ雲、山雲、八重山雲、薄雲、横雲、むら雲、一むら雲、ちぎれ雲、朝雲、夕雲、夕焼雲、夏雲、皐月雲、さみだれ雲、夕立雲、時雨雲、雪雲、鰯雲、豊旗雲、はたて雲、猪子雲、ありなし雲、水まさ雲、水取雲、等猶あるべし。山かつらは明方の横雲をいふ。曾根太郎、阿波太郎などいへるは雲の峰をいへる地方の名なるか。われこゝろみに綿雲、しき浪雲、苗代雲などいふ名をつく。猶外に名つけたき雲多し。 流石、子規、と思ったのは、ここに羊雲と鯖雲が入っていないこと。羊は日本的ではないし、後者は腐りやすい青魚だからという訳ではなく、どうせ翻訳単語と思うから。特殊な雲形などだいたいがアチラ様用語ではなかろうか。余りに、その通り過ぎる名称で何の面白味も無く、およそ日本的ではないから。まあ、鯖は、もともと鰯雲と呼んでいたから、アッソゥで取り入れたと思うが、鯖空との表現は避けていると思う。 子規の雲で有名なのは、コレではなく、次のくだり。・・・ 春雲は綿の如く、 夏雲は岩の如く、 秋雲は砂の如く、 冬雲は鉛の如く、 晨雲は流るゝが如く、 午雲は湧くが如く、 暮雲ほ焼くが如し。 雲を眺めるのが日課だったようである。 朝晴れて障子を開く。・・・ 空青くして 上野の森の上に 白く薄き雲少しばかり流れたるいと心地よし。 われこの雲を日和雲と名づく。 午後雨雲やうやくひろがりて日は雲の裏を照す。 : ありなし雲、椽の端にあり。 : 真綿の如き雲あり。 : 雪雲終に雪を醸してちらちらと夜に入る。 : ちぎれ雲、枯尾花の下にあり。 : 毎夜、夜を更かして頭痛み雲掩ふ。 心が鉛を呑んだかのように重苦しく、鉛の箱のような絶望に襲われながら、鉛を張ったような曇り空を見上げる日々という訳でもないことがわかる。 冬の気圧配置はご存知西高東低。つまり、大陸側高気圧の強力な高層の寒気流が日本海を渡ってやってくることになる。日本海側は雪雲に覆われる。 しかし、山越えした気流は関東平野に至れば、多くの場合、筋状の雲を作ることになる。 ・・・、と言った、気象科学的な話は実につまらん。小生などたった10個の雲の公的名称が未だに覚えきれない。要するに、積み雲と、層状の雲に2分。さらに、高度で上層・中層・下層に訳けるということのようで、例外的に下からムクムク盛り上がっていく場合は「乱」となるらしいとはわかるものの。ともあれ、さっぱり頭に入らない。すでに頭に入っている呼び名を追い出すことができないからでもあろう。しかし、その語彙とて、たいした数ではない。表現力不足は否めない。 − ・・・飛行機雲 巻 雲・・・筋雲 巻積雲・・・鰯雲 @山頂・・・笠雲 高積雲・・・叢雲 層積雲・・・畝雲 積 雲・・・綿雲 乱層雲・・・雨雲 か 雪雲 積乱雲・・・入道雲 巻層雲・・・薄雲 高層雲・・・朧雲 層 雲・・・霧雲 (色付)・・・茜雲 に 黒雲 (参照) 正岡子規:「子規選集3 子規と日本語」所収 増進会出版社 2001 "雲"「ほとゝぎす」第二巻第二号 明治31年11月10日 "雲の日記"「ほとゝぎす」第二巻第四号 明治32年1月10日 「超日本語大研究」へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2013 RandDManagement.com |