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■■■ 超日本語大研究 2017.4.25 ■■■

「商語」 v.s. 「情緒交流語」

唐代の書「酉陽雑俎」の原文をすでに1年ほど読み続けているが、[→]つくづく文化の違いを認識させられる。

小生、言うまでもないが、この分野は全くの門外漢。
その上、浅学とくるが、ウエブの辞書類があるので、読もうと思えばそれほど困難ではない。しかも、経書類での語彙使用箇所も即座に並べて見ることができるから、どんな雰囲気の時に使われる言葉かも、なんとなくではあるがわかるからである。

ただ、英語とは違い、単語に品詞の区別がないので、そこは厄介である。句読点がない文章だと、手に負えない。
だが、そんなことが発生するのは、英語に馴れ親しんでいるからかも。単語の語順はほぼ同じであり、品詞の推定は、実はそう難しいものでもないから。だからこそ、素人が原文を読める訳だ。
そんなことを考えると、漢字文とは、英語でいえばまさにピジョンイングリッシュそのものと言えよう。単語にしても、哲学的なものというか、形而上の概念は、おそらく後づけであり、すべての単語が即物的なもの。そこに、叙情的表現を司る形容詞的概念を持ち込んではいけないのである。
つまり、「"あるモノ"的な"モノ"が、"あるモノ"の如き状況にある。」という具合の表現が基本ということ。
"モノ"概念を示す文字があれば、それを並べれば文章が出来上がる訳である。

これは、民族の違いがあっても、類似概念が通じあえば、意思疎通可能ということになろう。ピジョンイングリッシュ的と書いたが、交易英語的とした方がよさそうである。
考えてみれば、それは当たり前かもしれぬ。甲骨文字が使われた殷代を漢字の原初とみなすなら、それは「商語」とよぶべきなのである。
つまり、中華帝国圏とは「商語」が通用するところということになろう。漢民族とは、「商語」を母語と認めた人々の集まりにすぎないともいえる。

そんなことが可能なのは、宗教的紐帯としての"モノ"が生まれるからである。それは、古代においては動物トーテム/生肖であり、それが呪術的文字になった時が、中華帝国の萌芽といえるのでは。帝国化する過程でトーテムのキメラ化が次々と進んだということだろう。その訳のわからぬものが龍ということになろう。
そして、トーテムといっても"モノ"であるから、その色や形が定義される。それは抽象的用語に見えるが、術は具象。交易国家である以上、"色や形"が変わってはこまるのである。標準化も不可欠であり、それが五色として結実したのだと思われる。

日本で霊といえば、実体を欠くイメージ的存在になるが、「商語」ではそれは"モノ"にせざるをえないから、怪物とか鬼にならざるを得ないのではないか。

それを考えると、日本語は美しいと言うのは、それぞれの民族が母語を美しいと称する話とは、少々次元が違うことに気付かされる。美しいか否かは別として、もともと詩的表現に拘っていそうな構造になっているからである。
あきらかに、「商語」とは対立的な言語であり、「情緒交流語」と言えそう。
単語は多義であるし、様々な品詞が用意されている。
品詞分別は語尾あるいは助詞を付けることで明瞭に区別する訳で、細かな表現に拘っているが、語意を明確にするためではなく、どう見てもイメージを膨らませるためのもの。オノマトベなど典型であり、漢語は飄々というように、それは必ず"モノ"であらわされるが、和的表現は抽象化した音になる。
"色や形"を固定化するような窮屈な表現は嫌っている可能性が高い。"色や形"は移りなけりなの世界と考えるからだろう。

この違いは、小さなものではないように思われる。
和は、動物トーテムを敬遠している人達が棲む島だった可能性を感じるからだ。しいて言えば、植物的トーテムを好んだとなろう。流れ流れて移って来て土着化する姿に、雑種民族の由縁を見出したのかも知れぬ。
ともあれ、即物的な"モノ"ではなく、"モノの想い"に関心が行くのが、日本の精神風土。現実の"モノ"とは本当の"もの"の影であり、"もの"には名前がつけようもないのである。

中華帝国では、名前を史書に残すことが重視されるが、「商語」圏である以上それは当然であろう。「酉陽雑俎」でも必ず、誰の話かを記載することになっている。
しかし、和的に書いたらそうはならない。重要なのは、心に留めたい言葉となろう。そのように発言したお方の名前は何某としたくなる筈。人自体ではなく、その人由来の言葉や"モノ"の方に人格を感じるのだと思う。


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