■■■ 北斎と広重からの学び 2013.7.18 ■■■ 写楽=北斎説は鋭い 「写楽は北斎だった」的なお話があるようだ。読んだことは無いし、どういう内容なのか存知あげないが、「謎の写楽」と言われているのだから様々な面白説の一つなのだろう。・・・程度に考えていたが、考えてみれば、この説ごもっとも。 間違えてもらってはこまるが、小生は写楽は実在し、短期間に登場し消えていっただけと見ている。しかし、両者は"社会的には"同類の絵師と見てよいだろう。北斎は一世風靡したものの、浮世絵界のなかでは、写楽同様に異端の存在だからだ。 ちなみに、代表的な浮世絵師は普通は以下のように考えるようだ。 【黎明期】 ・「見返り美人図」の菱川師宣 ・歌舞伎看板の鳥居清信 【成長期】 ・多色刷錦絵の元祖、繊細な美人画の鈴木春信[1725-1770] ・4代目の鳥居清長[1752-1815] ・美人大首絵の喜多川歌麿[1753-1806] ・役者舞台姿絵の歌川豊国[1769-1825] ・歌川豊広弟子の歌川広重[1797-1858] 【成熟期】 ・官能的美人画の渓斎英泉 ・力強い役者絵の歌川国貞 ・武者絵の歌川国芳 長期に渡って活躍した葛飾北斎[1760-1849]と、僅か10ヶ月(1794-1795)しか登場していない東洲斎写楽[時期不明]は、有名ではあるが、上記の流れのなかで位置付けるのが難しい。 先ず、写楽だが、ほとんど正体不明な人物。だが、それは謎でもなんでもない。 資金豊富なパトロンがリスクを好む版元にかけあって急遽出版させたにすぎまい。当時の他の絵師の作品とはかなり異なる印象を与えるから、インパクトは大きかったが、流行らなかったのである。事業として成り立たなければ消えるしかあるまい。 従って、上記のような、系譜のなかに当てはめる訳にはいかない。 一方、北斎だが、その代表作たる「富嶽三十六景」は上記では成熟期にあたる。風景画であるから、流れに入れ込むのは難しい。と言っても、それをヒントにした広重の「東海道五十三次」も名所絵で風景画だが、こちらは、浮世絵主流の最終大家と見ることができよう。 北斎の場合はそれができない。「○○の北斎」とは呼べないからだ。風景画だけでなく、美人画や役者絵、さらには動物画も。冗談漫画や化け物まで何でもござれ。 絵だけでなく、読み本挿絵や狂歌絵本にも本格的に手を出している。その上、一人で自由に描ける肉筆画にも入れ込んだ。題材もジャンルも自由自在なのである。個人の系譜を追うことはできても、これでは、浮世絵というジャンルのなかでどのような位置を占めていたかなど、説明のしようがあるまい。 今でこそ、大胆なモチーフ表現で超一流絵師との評価がなされているが、かつては違った扱いだった可能性もあろう。日本的な批評の習慣である「系譜のなかでのレッテル貼り」が難しいからだ。そうだとすれば、広重の名所絵対抗ということで、「富嶽三十六景」の絵師となる。他の作品はなるべく無視。 しかも、「喜能會之故眞通 蛸と海女」の類の作品がある訳で、それこそきらわれ者だったかも。 以前にも書いたが、[→有名絵師としての肉筆画(2013.3.4)]美人画といっても花魁ならわかるが、夜鷹どころか、最下層の船饅頭まで対象にするのが北斎流。 MOA美術館所蔵の花魁を描いた「二美人図」も実に優れた作品である。パターン化した美人像ではなく、花魁の情感が表情から読み取れそうな感じがしてくるからである。言うまでもないが、この絵を見てわかるように、北斎が追求しているのは大胆なモチーフでもなんでもない。描きたいものがそこに見つかっただけのこと。そういう意味では写実主義である。 それに対して、浮世絵の主流は、写実主義からほど遠い。 「写楽は北斎だった」と見るのは、この点から言えば、当り。こうした観点で見れば、写楽も写実主義そのものdからだ。 言うまでもないが、写楽が有名なのは、役者の大首絵。目、鼻、口の描き方が極端であり、そのユニーク度はとび抜けている。そのため、デフォルメ画とされ、写実的でないと考えるのが一般的。 しかし、これは間違い。歌舞伎役者の化粧や仕草それ自体が、すでにデフォルメされているからである。その心意気をそのまま写生したのが写楽の役者絵。 その結果、「歌舞妓役者の似顔をうつせしが、あまり真を画かんとてあらぬさまにかきなさせし故、長く世に行はれず一両年に而止ム」(大田南畝)の憂き目に。決して誇張した訳ではなく、役者の特徴がそのまま伝わるように描いたに過ぎない。 これに対して、主流の絵はパターン画でしかない。つまり、個々の役者が持つ特徴を覆い隠し、一般的美しさに合致するように描いただけ。当然ながら、ファンは美しく描いてもらって大いに嬉しい訳だ。つまらぬ特徴を目立たせる写楽の絵など御免被るなのだ。 写楽と北斎は絵に対する姿勢がよく似ているのは間違いない。 【参考: 無為庵乃書窓Gallery-[から北斎美人図】 1794-1804 三美人図,二美人図,涼をとる美人図,柳下傘持美人図,月下歩行美人図,花魁図,花魁図,ほととぎす聞く遊君図 ,夜鷹図,傘持美人図,化粧美人図,若衆図,桜花花魁図,見立浅妻舟図,人を待つ美人図,桜花花魁図,見立浅妻舟図,人を待つ美人図 1804-1811 見立三番叟図,春秋美人図,七夕図,美人立姿, 振袖新造図,花魁図,花魁立図,美人夏姿図,夏の朝図,鏡面美人図,化粧美人図,蚊帳美人図,円窓の美人図,五美人図,酔余美人図 1812-1819 雪中傘持ち美人図,砧図 1820-1833 花魁道中図白拍子図,鏡見美人図 1834-1849 若衆文案図,若衆図 北斎と広重からの学び−INDEX >>> HOME>>> (C) 2013 RandDManagement.com |