■■■ 北斎と広重からの学び 2013.10.5 ■■■

      セザンヌへの進化

小生はセザンヌ/Paul Cézanne(1839-1906) と言えば、次のような絵が頭に浮かぶ。中学生時代に叩き込まれた鑑賞眼が未だに残っているのである。
 ・果物・陶器が載ったクロス掛けテーブルの静物画
 ・裸婦が自然のなかで水浴する情景画
同時に、後期印象派の画家であり、20世紀絵画の幕開けに生きたとの位置付けを覚えさせられる訳。
で、素人だから、結局のところ、林檎の鮮烈さだけを「流石」と感じるに留まる訳である。

その後、印象派の歴史を知るようになると、「オーヴェールの首吊りの家」なる奇妙なタイトルの風景画に出会う訳だ。印象派で唯一売れた絵として有名だが、それ以上ではない。
さらに、何故、この人を取り上げたのか想像がつきにくい人物画も眺めたりすることになる。
こんな繰り返しで、小生には、どうも今一歩、ピンとこないのである。
それは、自然を円筒形、球形、円錐形として扱うとかいうよく知られた言葉と、彼の作品群における連関性がよくわからないからでもある。

しかし、日本の画家にとっては大先生のなかの、ピカ一らしく、錚々たる画家がその「系譜」を追っているとされている。静物、人物、風景と、とりたててモチーフがどうのこうのということはなさそうなので、これまた素人にはわかりにくい。というか、絵画鑑賞のセンスが欠けているということなのだろうが。

ただ、今になってようやく気付いたことがある。
北斎の話しを書いてきたが、「系譜」というか、それこそどう進化していったのかを考えていてのこと。

セザンヌは印象派の画家達のなかでは、日本からの影響を受けていない方に当たると思っていたのだが、それはどうも間違いだったかも。
  → 北斎と広重からの学び 「ポスト印象派の受け取り方」 (20130315)

進化の道筋からいえば、こうなる可能性がありそう。
  北斎→セザンヌ→ピカソ
表面的には大きな影響を与えたかに見える、「北斎→モネ/ゴッホ」は直系とは思えなくなったのである。

それは、セザンヌの晩年の作品がサント=ヴィクトワール山を題材にしたものに集中しているからである。この名称、聖なる勝利の山岳であり、北斎の「富嶽」を彷彿させるものがあろう。
見ればわかるが、それらの絵には風景画らしき自然の情景が描かれているとは言い難い。心象風景を平面のキャンバスに描いただけである。これは印象派の画風と比較するような代物ではない。北斎の世界に限りなく近い。

そこで初めて、円筒形、球形、円錐形なにやらの流儀がわかってくる。北斎の描き方の手本と全く同じこと。形はどうでもよいのである。風景をどう感じ取り、それをどう描き込むかを考え始めると、抽象的な表現にならざるを得ないということを言っているのだと思われる。
確かに、20世紀絵画の幕を切って落としたという表現通り。自我というか、画家が自分の目を通して感じ取った独自の世界を描ききることこそが絵画の本質と見抜いた訳なのだから。それこそが創造性そのものだろう。
従って、系譜としては、「北斎→セザンヌ→ピカソ」となる訳。

---主要作品 [Salvastyle.com, 気になるアート.com, より]---
  【静物画】
静物(鉢と牛乳入れ) 1873-77
りんごとナプキン 1879-80@損保ジャパン東郷青児
 ・・・どうしても、キリスト教的林檎の意味を感じるが。
林檎とビスケット 1879-82頃
青い花瓶 1885-87頃
台所のテーブル(籠のある静物) 1888-90頃
林檎の籠(リンゴのバスケット) 1890-94頃
リンゴとオレンジ 1895-00
石膏のキューピッド像のある静物 1895頃
  【人物画】
『レヴェヌマン』紙を読むルイ=オーギュスト・セザンヌ(画家の父) 1866
 ・・・挑発的な新聞。
画家アシル・アンプレールの肖像 1869-70頃
 ・・・美しさを全く感じさせない人物。
老人の顔 1866頃
タンホイザー序曲(ピアノを弾く若い娘) 1868-69頃
麦藁帽子の自画像 1875-76
赤い肘かけ椅子のセザンヌ夫人 1877頃
赤いチョッキの少年 1888-90
マルディ=グラ(謝肉祭の最終日) 1888-90頃
アルルカン(道化) 1888-90@ポーラ
 ・・・素敵。
温室のセザンヌ夫人 1891-92頃
女とコーヒーポット(婦人とコーヒー沸かし) 1890-95頃
腕を組んだ農夫(部屋の中の男) 1893-95頃
ギュスターヴ・ジェフロワの肖像 1895-96
頭蓋骨を前にした青年 1896-98
アンブロワーズ・ヴォラールの肖像 1899
  【人物情景画】
カード遊びをする人たち 1890-1892頃
 ・・・恐ろしい絵である。愉しんでいるとは思えない。
  【水浴シーン画】
水浴の男(両手を腰に当てて立つ男) 1885-87
水浴の男たち 1890-92頃
水浴者たちの休息(休息する水浴者たち) 1875-76
 ・・・ここにヴィクトワール山あり。
水浴 1883-87@大原
 ・・・女性水浴画はギリシア神話からの伝統。
女性大水浴図 1898-05
水浴する女たち
  【流行の歴史モチーフ画】
饗宴 1869-70頃
聖アントニウスの誘惑 1869-70頃
 ・・・伝統的「肉欲」題材。
  【マネ称賛画】
牧歌(バルバリア河畔のドン・キホーテ)1870
 ・・・『草上の昼食』。
モデルヌ・オランピア(近代のオランピア、新オランピア) 1873-74
 ・・・ 『オランピア』。
  【展開系】
愛の争い 1880頃
首を絞められた女 1875-76
  【風景画】
オーヴェール=シュル=オワーズの首吊りの家 1873
ガシェ医師の家 1873頃
赤い屋根のある風景 あるいはレスタックの松 1875-76
オーヴェールの納屋の中庭 1879頃
マンシーの橋 1879
 ・・・安定性なき構図に見える。
葉を落としたジャ・ド・ブッファンの木々 1885-86
ジャ・ド・ブッファン近郊 1885-87
レスタックから眺めたマルセイユ湾 1885頃
サント=ヴィクトワール山と大きな松の木 1885-87頃
アヌシー湖 1896
ビベミュスの石切り場 1898
 ・・・岩の迫力としっかり立つ木々。凄い。
サント=ヴィクトワール山 1900
サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール 1904-06頃@ブリヂストン
 ・・・これぞまさしく聖山に護られた人造の館の図。
レ・ローヴから見たサント・ヴィクトワール山 1904-06
松の大木があるサント=ヴィクトワール山
ローヴの庭 1906
 ・・・抽象画以外のなにものでもなかろう。[最晩年の未完作品]


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