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■■■ 北斎と広重からの学び 2014.8.11 ■■■


北斎が生み出した真の風景画

北斎と広重の本質に迫るべく、少しづつ書き足しているのだが、最初に戻って考えてみたい。
   江戸の日本橋 [2013.1.6]

「富嶽の有難さ」を題材とするのだから、当然といえば当然だが、北斎の日本橋は単純にして明快なコンセプト。
通行人で大混雑の日本橋は、欄干の擬宝珠しか見えず。蔵が並ぶ先には江戸城本丸と二の丸が見え、はるか遠くに富士山。
現代感覚で眺めると、興味を惹かない構図ではあるが、テーマの主旨にはえらく忠実。

一方の広重はテーマは「東海道宿場町の紹介」だから、その起点として、町衆ウケしそうな構成にしたのでは。・・・
参勤交代らしき大名行列が朝焼けのなか橋を渡っていく。橋のたもとには魚河岸から出発する行商人達。遠くに見えるは火の見矢倉。

この2つの差こそ、両者の違いを端的に現しているとはいえまいか。

「冨嶽三十六景」の代表作といえば、凱風快晴、山下白雨、神奈川沖浪裏だが、「江戸日本橋」も全く同じ思想性で描かれていると考えれば、その意味が見えてこよう。・・・フレームで切り取ったような風景画を嫌っているということ。いかに、描いた範囲が広かろうが、前景-中景-遠景といった体裁をとっていようが、所詮は、誰でもが知っているモチーフを図案化したにすぎず、それは北斎が描きたくないタイプ。

そう、広重の「日本橋(朝之景)」は、そういう手の浮世絵なのである。
おそらく、広重翁自ら誇る作品とは、「東海道五十三次」ではなく、「名所江戸百景」だったのではなかろうか。極めて静態的だが、だからこそ江戸の良さを描き切ることができると考えたと見る。構図的には、前景-中景-遠景で、このうちの前景のデフォルメしたオブジェクトが印象的なので、間違い易いが。
面白いのは、手法は斬新なのだが、結局のところ、前景=中景=遠景になってしまった点。
「見えるモノ」を強調して前景に描いたところで、それは思想的な遠近感には結びつかないということ。地平線を描いても、それが思想的な地平線にならないというような類。

この感覚、ご理解頂けるだろうか。

北斎の絵に持ち込まれている「風景感情」が、広重には無いのである。だからこそ、名所紹介絵として、見て愉しいものに仕上がっているということ。

宇宙観を一つのモチーフにつっこもうとしている絵と、自分の良く知るお気に入りの場所を心地よく紹介しようという絵の違いでもある。
簡単に言えば、北斎は風景画の本質を見抜いたということ。
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