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2005.4.11
 
 


特殊なセダンを眺める…

 SUV車を例にとって、勝手な素人論を展開したら、それならセダンをどう考えるの、というご質問を頂いてしまった。
  → 「車に感じる“思想” 」 (2004年4月7日)

 ご質問の趣意はよくわかる。日本におけるセダンの不調は驚くほどひどいからだ。

 セダンを乗り回していた人達はどこへ行ってしまったの、という感じがする。
 ブルーバードやコロナといえば車の代表選手だった。ビスタやローレルも一緒になって忽然と消えてしまった。

 一体、どうなっているの、と訊ねたくなる。

 しかし、一寸考えれば、こうなったのも当然という感じがする。
 一般消費者から見れば、セダンはヒエラルキー構造の世界に映る。所得上昇に合わせて、順次、同じメーカーの上位機種に買い換えていくシステムである。
 ここに流れているのは、分相応の機種を買いなさい、という思想に他ならない。機種の意味などほとんどない。

 日本車のセダンに乗ると、こんな考え方に同意している人と見なされかねない。それでもかまわない人は別だが、嫌なら、できれば日本車を避けるのではなかろうか。

 これは、日本国内だけの問題である。

 海外では、日本車は結構な人気を呼んでいる。
 アコードは米国で、アテンザは欧州で、それぞれ売れている。ドライブを楽しむ文化のなかで、ドライバーの琴線に触れる点があれば売れるのだ。それがセダンだと思う。

 要するに、セダンでどう楽しむのか、という“思想”が重要なのだと思う。

 “思想”がはっきりしている車は廃れようがない。

 素人にもすぐにわかるのがインプレッサ。(1)

 改造車と見間違えるほど派手な車がある。
 ボンネット上に空気の取り入れ口が大きく開いている上、目立つリアスポイラーがついていたりする。

 カーマニアに聞いたら、このデザインが好まれて売れているのではないそうだ。レース好きが仕様を徹底的に吟味して購入するらしい。
 エンジンやミッションの配置からしてレース向けなのだと。2004年モデルはターボの効きも凄いという。

 極端な言い方をすれば、快適走行に興味が無い人の車といえよう。スポーツ好きといっても、疾走するスポーツカーには目もくれまい。
 サーキットレースが好きなのである。実際、レースに参加したことが無くても、その力を持つと自負する人や、レーサーとの一体感を味わいたい人が購入するのだ。

 特殊だが、セダン文化の好例だと思う。

 --- 参照 ---
(1) http://www.subaru.co.jp/impreza/vlimited/concept/index.html


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