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2005.4.12
 
 


高級セダンを眺める…

 ご質問に応えて、サーキットレース好きが購入するセダンは廃れまい、という話をしてしまった。
  → 「特殊なセダンを眺める 」 (2004年4月11日)

 特殊例だが、ここからセダンの本質が見えてくると考えている。

 要するに、セダンは、色々と便利だからということで購入する車ではない。この車ならドライブを楽しめると見なされて、はじめて購入に繋がる車だと思う。(成熟した社会という前提での話。)

 従って、セダン人気は、ユーザーのライフスタイルや社会の文化と密接に係わることになる。

 これでは、どういうことわかりづらいから、もう一車種とりあげて説明しよう。

 今度は、大型サルーンのジャガー(XJ)(1)

 ¥8,490,000よりというお値段だから、一般的な車とは言い難い。しかし、文化の香りを感じるという点ではピカ一だと思う。
 見た瞬間惹かれる人も多いと思う。デザインが思想を表す好例である。忍び足で近づく猫族のようなドライブを楽しむ車、ということがすぐにわかる。ハイテク弾丸列車に乗って、一気にスピードを楽しむスタイルではない。

 と言っても、先進テクノロジーをふんだんに登用している。
 だからといって、新機能そのものをウリにする必要はないだろう。必要な機能を徹底的に充実させても、操作の複雑化は避けることになろう。そんなことをすれば、折角の思想が根底から揺らぎかねないからだ。

 間違ってもらってはこまるが、これは、当該車の情報を集めて出した結論ではない。ズブの素人の一寸した想像にすぎない。
 従って、間違った見方かもしれないのである。
 ここがポイントである。

 車を見ただけでも、素人が勝手に車について語れる。細かな仕様を読まなくても、なんとなく“思想”が伝わってくるのである。

 これこそが、セダンが持つ主張だと思う。そこがユーザーの楽しみでもある。

 セダンがドライブを楽しむ車だとすれば、どのようなライフスタイルで楽しむのかが伝わらなければ、ユーザーは選びようがない。
 日本ではココを曖昧にしたままセダンを売ってきたのではなかろうか。

 富裕層向けの車という点からいえば、日本車の代表はセルシオ(C ¥6,667,500〜)(2)だ。

 見た瞬間、セダンの品揃えの最上位に位置する機種という印象を受ける。おそらく、機能や品質を比べると、素晴らしい車であることがわかってくるのだろう。しかし、機種自体のイメージは余り湧かない。

 そして、どういう訳か、余裕のある層への訪問販売で、機能や品質の比較データを示して、高級機種への変更をお勧めする商法のイメージが湧いてくる。これはラグジュアリー感覚とはかなり異なる。
 調べた訳でもないから、これが当たっているのか全くわからない。偏見かもしれない。

 しかし、こんなイメージこそ、日本が培ってきたセダン文化に他ならない。セダンに魅力を感じない人がでてくる由縁である。

 遅かったが、高級車の売り方が変わるそうだ。新たな販売網構築が進んでいる。2005年8月からは、プレミアム・ブランド車“LEXUS”(3)はここだけで販売されることになる。

 ようやく、日本のセダン文化を変える動きが始まった訳だ。

 --- 参照 ---
(1) http://www.jaguar.co.jp/jp/ja/xj/overview/default.htm
(2) http://toyota.jp/celsior/concept/concept/index.html
(3) http://lexus.jp/


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