表紙
目次

■■■ 本を読んで [2015.7.27] ■■■

神饌牛蒡観

世界広しと言えども、ゴボウを食用にしているのは日本と韓国くらいのものらしい。これは縄文時代からだというから、えらく古い。
「牛蒡の話」[2007.11.13]

よく耳にするのは、捕虜の食事に使ったため、日本軍の虐待行為とされたとの話。西洋から見ると、さほどに特殊な食材であるらしい。
しかも、行事餅菓子として、初春一番の葩餅に使われるくらいだから、[→] 縁起的にも一級品の野菜と見なされている。まあ、縁起でなくとも、馴れている日本人には美味しく感じる食材であるのは間違いない。小生など雉餅は最上級と絶賛したくなるが、それには擦りおろし牛蒡が欠かせない。[→]

これほどポピュラーなものにもかかわらず、ゴボウの記述があるのは園芸書や料理本ばかり。牛蒡食の歴史に関する情報がえらうく乏しいのである。気になっていたところに、ついに、そのものズバリ「ごぼう」という題名の本が新刊書名前に。まさに真打登場。
著者は、2001年、緋本家政学会誌にごぼう料理文化論を掲載した学者。

素人とは関心領域が重ならない可能性も高い訳だが、なにせ、まとまった本としては類書ナシの世界である。有り難く読むことにした訳。
このような本がもっと増えてくれればよいと願いながら。

早速、一番気にかかっていたところを読んでみた。

沖縄料理である。

と言っても、けげんな顔をされるかも。沖縄料理の話に、普通は牛蒡は登場しないからだ。それは当たり前。亜熱帯の植生に合う植物ではないし、沖縄料理必須となった昆布のような役割を果たす食材でもないから。(註:ゴボウは照葉樹林帯ではなく、ナラ樹林帯の作物。)
しかし、彼岸、清明祭、盆、等のお供えの定番「しみむん[煮しめ]」には必ず牛蒡が入る。これ無しは有りえない。不思議ではないか。
しかも、米軍からのスパムは入っても、パン、ミルク、バタ−、チーズはさっぱりという、見事なほどの食への拘りの地とくる。どこから来たのだろう、このゴボウ食といったところ。

この本によれば、島ゴボウだそうだ。そして、・・・「日本人のルーツまで考えさせられるごぼうの利用法」とのこと。

ムムム。矢張りそうか。

牛蒡の野生種は北海道を別とすれば、本土では見つかっていないそうだから、渡来に違いないとされる。だが、数千年前の遺跡から栽培種のタネが出土する訳で、その時期は相当な古代。
その辺りは、追求したところで、どうせよくわからないが、はっきりしているのは、今もって、牛蒡は行事料理の食材とされているということ。もちろん神饌扱い。
どう考えても、牛蒡とは、倭人が畑作を始めた頃からの想いが詰まった食材なのである。

そうなれば、シナリオも自然に湧いてくるではないか。

おそらく、倭人のルーツは海人。南島系のタロ芋(里芋)+藻塩を大事にしていたに違いない。同時に焼畑農耕も手掛けていたことになろう。その収穫の有り難さの象徴こそが牛蒡ということになろう。
その後、穀類、就中、稲作が可能になって生活スタイルは大きく変わったが、それ以前の気分を出来る限りそのまま続けるというのが日本列島に住む人々の気質。
稲と言っても、タロ芋食感が強いジャポニカ種にあくまでも固執するし、祝い事となれば、高価につくが、粘り感がさらに高まる糯米/餅をどうしても欲しくなるのである。もちろん、そこには必ず塩味が不可欠。
それと同時に、牛蒡も必要となる。
それは、焼畑時代の作物ではあるが、海の幸と山の幸の両方を享受していた時代の郷愁感を呼び起こすものでもあろう。

塩味の牛蒡を食すというのは、遠い祖先の靈との共食を意味しているのではあるまいか。

(本) 冨岡典子:「ごぼう ものと人間の文化史 170」 法政大学出版局 2015年6月20日
 本を読んで−INDEX >>>    HOME>>>
 (C) 2015 RandDManagement.com